バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

バレエヨガインストラクター三科絵理

大学受験とバレエ。「体を捨てる」と思ったあのとき。

3月。卒業・入学シーズンですが、私は特に大学受験のことを思い出します。

中学生・高校生のバレエジュニアの皆さんは「あと◯年後の進路選択どうしよう」とか気になりますよね。ご両親も、心配するかもしれません。

どんな進路を選ぼうとも、その選択がゴールではなく、その先の生き方がすべてだと思います。

だから、あくまでも「通過点」。

大学から卒業して、新卒の仕事に就くときも、同じことを思いましたね。。(リーマンショック直後の就活…なつかしいな。)

大学受験に話をもどして、私の経験談を。

バレエの先生というカテゴリーでは、ちょっと変わった経歴で、早稲田大学の人間科学部を卒業したあと、新卒で民間企業に就職して、それから転身しました。

そういった経験があるからこそ今の活動があります。

大学受験は、どうだったのか?というと、もともと私は中学生の頃から「大学には行かないでバレエの勉強をしたい」と言い続けていました。それでも高校は卒業しておきなさい、とバレエの先生や親にも促されて私立の高校に入学しました。芸術系の人も多い自由で個性豊かな高校で、普通科ではありますが選択科目がとても多く、私は美術・音楽・芸術関係の授業を主に受けていたので大学入試に求められる勉強は英語以外ほとんどしていない状態でした。

高校3年間は、アルバイト・部活の代わりに、バレエ漬け。学校が終わると、スタジオに直行してレッスンやリハーサル、指導アシスタントもしていたので、学習塾もなし。

大学には行かない計画だけれど、バレエや芸術に関することをどんどん吸収して毎日とても充実していました。コンテンポラリーダンス、美術史、音楽などにも興味を注げたのは、アーティスティックな同級生も多い伸び伸びした高校で自由な発想ができた環境であったことも、大きかったと思います。(先輩卒業生は土屋アンナさん、中村獅童さん、宮崎あおいさん、、など。)社会はこうだからこうしなさい、といった教育ではなく、本当に自分自身の個性に向き合わせてくれる学校でした。(入学したときのカルチャーショックもあったな)

特に高校2年生から3年生の頃は、メンタルトレーニングのことも勉強しながら、ゾーンの状態を維持することができていたため、とても濃厚な年月でした。それが無ければ今の指導もできなかったはず。

高校3年生の冬。周りの同級生は一生懸命勉強していて、大学受験のセンター試験が始まっていました。付属大学は無い高校なので、受験か、留学か、はたまたもっとオリジナルな進路を作り上げていく友人もいました。

そんな時期に、なぜかふと、「もっとバレエ以外のことも勉強したいな」という不思議な気持ちがはじめて芽生えてきました。

それまではバレエに関する専門学校や留学も行きたいとずっと思っていたのですが、ダンサーのキャリアのことやいろいろな事情(身長が低いことも)を考え直して、バレエ以外の他の世界をもっと勉強したい・もっと視野を広げたいという気持ちになりました。

だから、自分が中学生の頃から言い続けていた「大学には行かない」宣言を覆すことに…。

両親にも先生にも頭を下げる気持ちでいっぱいで、涙を枯れ尽くすほど胸が痛かったのですが、昔から身長も低く18歳になったら決断しようという思いをひそかに掲げていたので、まだ10代のうちに直感で察した選択を、信じようと思ったのです。

それは、芸術に携わることを諦めたつもりではなく、むしろバレエ以外の分野にもふれたり社会経験をすることで、もっと表現したいものが見えてくるんじゃないか?という勘でもありました。

その当時18歳のわたしには、今のバレエヨガインストラクターという活動は、まったく見えませんでした。

20代に経験した心身ボロボロの辛い時期がやってくることも思いもよらず…(そのおかげでヨガの価値を思い知ります)。

18歳の私には、未来の姿が見えなかったけど、それがあったから今のわたしがここでこんな活動ができ、素晴らしい生徒さん方に出会えていると思うと、人生本当にミラクルだと思います…!

そんなわけで、ようやく大学受験をしようという気持ちが固まった私は、大きな事実に直面します。

もう高校3年生のセンター試験が終わっちゃっている、という現実。

私立の出願だって間に合いませんし、そもそも無謀です。その時点で、浪人をすることが決まりました。

学生でもない、社会人でもない、周りのみんなはどんどん先に進み、置いていかれる宙ぶらりんの自分。

浪人するというと、暗い・辛いイメージを持つ人もいるかもしれません。

でも、私はまだ試験すら経験していなくて、しかもこれから勉強をゼロから始めるという状態で、かえって落ち込みはありませんでした。(現役高校生とほぼ同じスタートだ!とポジティブにとらえました。)

バレエとは全然違う、学業の結果が点数に出る世界。

努力すればするだけ試験に合格できる可能性がとても高いことと、どんな問題にも正解(赤本)がすぐ手に入るというのは、バレエとは全く正反対で、新鮮で面白く感じました。

華がある天才ダンサーになるには、お金でも努力でも換えられないものがたくさんありますからね…

周りの浪人生に比べたらゼロスタートの自分は、大きなハンデ(4月の偏差値はどん底)でしたが、とにかく毎日自習室にも9時から9時まで行きました。

身長が伸びないとか、体型が変えられないとか、オーディションの狭き枠を競争で勝ち取っていかないといけない、という世界にずっといたため、打ち込めばいいんだ!と開き直っていました。(笑)

予備校の先生にも恵まれ、勉強は大変ですがわりと楽しむことができ、結果的には予想を上回って、いくつもの目標校の合格を得ることができました。私立文系で、英語・世界史・国語(現代文古文漢文)で受験しました。

両親からは特に強制させられたこともなく、プレッシャーもなく、何事も自分の意思で進めさせてくれたのが、良かったのだと思います。

バレエのキャリアをとめた分、中途半端にしたくない!という気持ちも、かなり働きました。

やがて大学に入ると、似たようなバレエ経験者の大学生がたくさんいることに驚きましまた。そんな仲間たちとサークルを作ったりもしました。みんな、同じように悩みや挫折感を乗り越えてきていました。今もそのサークルには毎年たくさんの学生が入ってきます。

バレエか、大学受験か、という二択の選択で悩む高校生は多いですよね。

大学を選ばないで、留学やバレエ団の研修生になる、等も貴重な選択です。その年齢で経験できる価値もあります。

でも反対に大学を選んだらどうなるのか。もうバレエをしてはいけない状態になってしまうのか?

長い年月でみると、二択で片方を切り捨てするような形ではなく、両方の道筋をうまく進んでいく人も結構います。

大学に入ってから、バレエにまた打ち込み、バレエ団に入れる人もいます。

大学を卒業して、バレエや劇場などに関する仕事に就く人もいます。

私のように、新卒で全く違う業界に就職してから、インストラクターに転職する人もいます。

高校生のときの進路選択というのは、大学を選ぶ=バレエをやめる・捨てる という気になりやすく、落ち込みやすいものです。

でも、実際は、その後の生き方次第。それをこの歳になってつくづく感じています。

すべての選択は、親でも先生でもなく、自分の心と魂がこの体でどんな経験をしたいのか決めることです。

選ぶのは、自由。

でもその自由には責任がともないます。

その覚悟さえ決めれば、今、目の前の選択がたとえ受け入れがたいものであったとしても、未来を変えていく工夫や努力ができます。

大学受験を選んだとき、正直な本音は「ああ、体を捨てるんだな」と思いました。

体というのは、筋力や感覚を研ぎ澄ませてきたダンサーとしての体のこと。

3歳から始めたバレエを、いろんな先生が全身すみずみまで手をかけて直してくれました。親にも負担をかけました。

そこまでしてバレエのレッスンで絶え間なく作り上げてきた体を、受験勉強で机に向かい、怠けさせてしまう。

ああ、みんな、パーになるんだな… と、物悲しくなり、たくさんの時間と労力をかけてくれた両親にも先生にも申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

でも、一方で、体で覚えたことは一生忘れないことをもっとあとになって気がつきました。

運動をしなければ筋力、心肺機能、基礎体力などは低下してしまいますが、体の効率的な使い方・運動のリズム感・うまくいくときの体のバネの記憶・表現の見せ方… さまざまなことが私の体に数年後もずっと残っていました。

大学受験を選んだ時点で、私の体はすべて捨ててしまった、と思いこんでいたのに、まだ大切なことはしっかりと私の中にあるんだ、、、!この発見は宝物でした。

捨てたと思ったら活かせない。「ある」と思って見つめ直せば、たくさんの知識が体に眠っている。

そう気づけたときに、私の中で使命を感じました。「この体で覚えた知識を、必要としている人に届けよう。」そうして、今のようにバレエとヨガをレベルの分け隔てなく、幅広い人へ教えるようになったのでした。

大学受験は大きな転機でしたが、それがすべてでもないし、ゴールでもありません。その先の自分次第でまたいかようにもデザインすることができるのです。

大学受験から10年以上経って、あのときの自分の進路選択の洞察に感謝しています。。

もし、これから大学受験・就活をむかえるみなさんも、バレエをやめたくないのに…という悩みがあったら、どうか諦めないでください。

そして、取り戻すまで時間がかかっても、それをマイナスに心配しすぎないことです。

自分が思い描く理想の時間の長さは、必ずしも妥当であるわけではありません。

理想よりも、もっと時間がかかってしまうことだってあります。

現実は起こってみないとわかりません。

まだ経験していないことなのだから、理想の設定が間違っていることだってあるでしょう。

そんなことよりも、その1つ1つにクヨクヨしないことの方がずっと大事。

誰がなんといおうと、わたしは「バレエ」を生きるんだ、という強い意志が、選択を正解にさせていくのです。