美しくなりたいと思うときは、自分の美学を持つこと。
他人と比べない勇気を持つこと。
人と比べようと思えば、体のプロポーション、髪型、メイク、洋服、アクセサリーなど、たくさんの比較ができる。
自分が他人よりも劣っていると感じると、悲しく思ったり、羨ましくなったり、補うためにどんなものを身につけようか考えたり、焦って自己嫌悪になってしまうこともある。
美しさというのは、誰かに評価してもらう絶対的な基準があるわけではない。
本質的で何よりも強い美しさは、自分の内面を起点にしたものでなければならない。
美は、自分の内にある。
安直に「この女性みたいになりたい」「この女性に生まれ変わりたい」というのは、本質的でない。
自分の人生をいかに素晴らしくドラマティックな美しいストーリーに仕立てるか、そのプロセスが伴わなければ、真似をしたって本物の輝きではないのである。
仮に自分が劣っていると思ったことも、自分の視点からはそう感じるだけで、他人から見ると魅力的であることも多い。
視点をどこに置くかによって、見え方は変わってしまう。だから、自分のブレない視点を持って美学を持つことが必要だ。
素敵な人に、憧れを持つことは、悪いことではない。むしろ、学びの材料がたくさん詰まっている。
美しいと思うものにはたくさん出会い、自分の美学をアップデートさせていく。
理想の姿を思い描くためのインスピレーションにする。
日常の思考を解き放ち、未来に実現させたい夢を想像するための発想のヒントにしていく。
美しい考え方をしている人だなと思ったら、なぜ美しいのか、なぜ意味を感じるのか、自分ならばどうやって味付けをするかを咀嚼する。
憧れる誰かの人生を、単にコピーして自分にはめ込むのでは無く、自分色にゼロから染め上げるプロセスが、人生をアートにしていく。
いつも、ココ・シャネルの言葉を思い出す。
こんなふうになりたいじゃなくて
誰かみたいになりたいと思ったときに、
人は大切なものをたくさん失ってしまうの
自分らしい輝きを持っていなければ、誰かの真似をしても追っかけをしてもダメなのだということを思い出させてくれる。
何にも強い芯のある美しさには、その人だけの美学が伴う。
その人の心から思う信念から生まれた美学が宿っていれば、それは何をも凌ぐ。
世間の流行がどんな姿であっても、その人の信念が共感を覚えずにはいられないほど、美しいものであれば、意味のある美しさに納得するはずだ。
むしろ、社会の顔の見えない無言の視線から、自分の美学を守り抜く。それが人生を美しく輝かせる近道なのである。
世間の目を気にする前に、自分にとって、どうありたいのか。
自分にとって美しさとは何なのか。
どんな美しさであれば、心から全身が奮い立たされるのか。
それを、自分自身の言葉で語る。
そうした美学を持つ人は、どんなものにもブレないしなやかな美しさで自分自身が守られていく。
*1:シャネル公式サイトより画像リンクを引用