体は、対話する。
私はインストラクターとしてレッスンをする時、その人の肉体に「幸福」という感情を宿らせるような感覚で対話している。
ちょっと不思議な表現に聞こえるかもしれない。それは解剖学や運動科学といった論理的なアプローチだけではなく、ダンサーとしての言葉にならない感覚なのだと思う。
ダンサーは、体で対話する。
手の指先の返し方ひとつでも、観客と対話をする。
強く素早く返すのか、それとも羽のように軽やかなのか、陽気で軽快なのか。
言葉を出さずに、生身の体で伝える。
それは、かっこつけようと飾っているわけではなく、ただひたすらに、まっすぐな思いである。
ほんとうは、人間みんな、全身で対話する生き物だと思う。
舞い上がるような喜びも、悲しみも、悔しさも、愛しさも、
体は全身で感じている。
なのに、わたしたちは、
その大事な感覚を忘れてしまうことがある。
だから、時にはヨガスタジオを飛び出して、
天の川の見える森の中や、 禅の心と向き合えるお寺でも、ヨガレッスンをしてきた。
良い姿勢というのは、快感である。
穏やかでブレることがなく、全身が油断も隙もない状態に入る。
心理学で言う「ゾーン」に入る感覚を、肉体からも誘うことができるのだ。
頭頂から足の裏までに、細くまっすぐな筋が一本通る。
体のコアである中心が引き上がっていく。
全身が細胞レベルで研ぎ澄まされ、頭脳活動もクリエイティブな作業も捗る。
体は感じて、記憶しているのだ。
普通、レッスンやエクササイズというのは、体の筋肉を鍛えるためと言われる。
でも、体が運動したというだけでなく、全身の細胞すみずみが深呼吸をしているような、そんな感覚を持ち帰ってほしいし、それは受け手の心に響いていく。
体と向き合うときは、全身の細胞すみずみにまで、幸せな感情を宿らせよう。
これは、感覚を丸裸にして感じるしかない。
最愛の人を一生懸命に愛するのと同じように、自分の体を欠点も含めて丸ごと愛し尽くしながら、幸福な感情を宿らせるような感受性を持つことだ。
すると、体が昨日の自分を超えていき、生きることが美しいアートそのものになっていくのだ。
体は、笑顔をこぼす。
体は、涙を流す。
体は、恋をする。
体は、腹を立てる。
体は、地に足をつける。
体は、空を仰ぐ。
体は、記憶を刻む。
体は、愛を歌う。