バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

バレエヨガインストラクター三科絵理

偉大なバレエ教師の功績の影にあった、子ども時代の粘り強さ

ロシアバレエのメソッドを体系化させた、世界的に伝説のバレエ教師と呼ばれる、アグリッピーナ・ワガーノワ先生の伝記を読んでいます。

ワガーノワ女史のことはバレエを習うと必ず出てくるほど。メソッドについての解説は、今やたくさんの本に書かれています。

ワガーノワのメソッドが、今や世界中にも影響を与えているので、私個人的には「バレエの母」であるようにも思います。

でも、一人の人間として、どんな子ども時代であったか?という話はあまり聞いたことがありませんでした。

なので、生い立ちや、具体的なエピソードをわかりやすく書かれているこちらの本を見つけたのです。

ざっと、子ども時代から、バレエ学校を卒業してプロのダンサーになるまでの章を読みました。

「これだけ偉大な人だから、どんなに子どもの頃からエリートだったのかな?」と、勝手に想像しそうになります。

でも、実際には、苦労と努力の子ども時代であったようです。

ワガーノワ女史の父は、安い賃金の劇場の職に勤めていて、なに不自由なく…という家ではありませんでした。親が受験させた目的は、無料で教育が受けられるから。

入学試験のときには、身なりで華やかに見せるのも精いっぱい。晴れてバレエ学校に入学できたものの、父は数年後に他界してしまうという不遇な面もあったようです。

それでも、彼女は劇場でたまに見せてもらえたバレエの公演が大好きで、競争率の高い試験を勝ち取りました。

苦しいバックグラウンドがあっても、大好きなバレエには、どんどんのめり込んでいたそうです。

ワガーノワは義務教育を修了したものの、卒業して初舞台を踏む年齢満17歳に達しておらず、もう一年学校に残ることに。

そのとき、イタリア人のエンリコ・チェケッティという教師がやって来ました。チェケッティ派というバレエの流派を確立させた人です。

チェケッティのバレエのスタイルは、当時のロシアにとって、新鮮で生き生きとして、高度なテクニックも次々こなしていました。

若かりしワガーノワ女史も、チェケッティのレッスンを切望していました。

にもかかわらず、学校のなんらかの事情で受けさせてもらえなかったそう。ここでも、悔しさは募ります。

受講している生徒がどんどん上達していくのを横目で見て、悔しい思いをしていたんだとか。

どうもこう日本人の自分から見ると、

ロシアに生まれ、バレエ学校に入学できて、世界的に偉大な功績を残したバレエ教師ならば、

さぞかし子どもの頃からエリート街道だったのだろう…と思いきや、

実際には、惨めさや悔しさの尽きない学校時代だったのですね。

一人の人間として、親しみも感じました。

マリインスキー劇場のプロのダンサーになってからのワガーノワは、自分の踊りが酷評されることもしばしば。

それでも、弱点を直しながらテクニックを磨いていったそうです。

批評家にも「ヴァリエーションの女王」と賞賛されるほどにまで、自分を変えていったのです。

なので、初めから大抜擢を受けるような運には恵まれなかった彼女でも、

飽くなき探求心と、粘り強さが、運命を切り拓いていったという事。

そのことに、しみじみと感銘を受けました。

1900年代に活躍していて今は亡き方ですので、生の舞台を観ることは到底できませんが、

こうした文献にふれるだけでも、ワガーノワ女史の魂が響いてくるようです…。

どんなことも、歴史で初めに行動した人や、功績を残した人というのは、

後世の者にとって、どれだけ大きくて計り知れないことを成し遂げたんだ…と思わされます。

でも、彼女にとっては、偉大なことをしようと思う気持ちよりも、

まずバレエが好きという気持ちがあって、

自分の中に沸き起こる好奇心を貫き通してきた人なんだろうな…ということを感じました。

バレエの歴史をひもとくのは、とても面白いですね。

また、感じたことをシェアします。