日々いろんな人にお会いしますが、私の活動スタイルに何かを感じて(何か…曖昧な言葉ですが 笑)会いに来てくれる人もいます。
私は二十代後半から自分の人生のハンドルをぐっと切って、道なき道を進みながら今ここにたどり着いてきた感覚です。
なぜなら、ロールモデルはいませんし、今の私のスタイルを想像してやってきたわけではなく、その時の最善を尽くして選びとってきた選択の結果今ここにたどり着いているからです。
同い年の企業や組織に勤める友人たちから見ると、フリーランスで個人の名前で活動することは会社員とはまったく違う働き方に見えるようです。昔私も会社員をしていたのでその気持ちはよく分かります。
会社ならば一定のキャリアプランができています。また、所属していることでの安心感があります。会社が大企業であるほど、所属していることのブランドも付いています。ネームバリューの聞く所属先だった人が辞めてフリーランスになると、途端に人からの見られ方も変わりますし、自分個人の存在というのを考えさせられるはずです。
私はバレエ界もビジネスの世界も大学の研究の世界もいろんなところへ足を突っ込んできた経験がちょうどよくどれも活かされています。
ただ、同じ経験があったとしても、やり抜く覚悟と、一緒に仕事をする人へ気持ちよく仕事ができるようにするための配慮や段取り力、そして活動にかける情熱と愛が伴わなければ活動を成長させながら循環させていくことは難しいなとも肌で感じています。
厳しい反面、私はとても清々しい気持ちでもあり、そのルーツはどこかなぁと思うと、高校の環境が個性と自由を活かして「人と違うのが当たり前、自分らしくあるほど魅力的」というような空間で過ごしたからなのだろうと思います。
人によって、「他人と同じだから安心できる」「みんなから仲間はずれにされたくない」という心境が強くなってしまう人もいると思いますが私はあまりありません。
引っ越しが多かった子供時代に、慣れ親しんだ環境を頻繁に変えて生き抜く経験もあったのが、強くしてくれたのかもしれません…
発信をしていく立場の方は、受け手の人よりもずっとずっと自分が先頭に立って心を開き、目の前の人を信頼し、揺らぎさえも受け止めるような懐を持つことだと思います。
私も昔はそこまでの視点がありませんでしたが、年々いろんな経験をしながら道なき道の生き方と向き合っています。別にフリーランスだけの話ではなく、人生本来100人いれば100通り違うわけなので、誰もが自分の先人はいないはず。しなやかに、熱くも、穏やかにも自在に変われる心をもって、歩んでいきましょう。
画像の写真は、六義園のしだれ桜 秋の装い。ダイナミックな枝に、落葉して冬を越すエネルギーを貯めているたくましさを感じました。