バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

バレエヨガインストラクター三科絵理

表現することをフィールドワークする 1 テーブルウェアフェスティバル

テーブルウェアフェスティバルに先日初めて行きました。賑わいに驚き。慣れているのか、お買い物のためエコバッグを抱えた奥様方がいっぱい。ふだん東京ドームには全く行かないので、野球場ってこうなってるんだというところから…(笑)そこ?というツッコミはおいておいて。

もともと器を楽しみたいという気持ちもありますが、展示、インスタレーション、表現手法などを各地見に出かけてリサーチしたいという気持ちがあります。自分の仕事でも大きなウエイトを占めるからです。バレエとは一見関係のなさそうな分野に飛び込んでみるほうが、新鮮な発見が多いのです。

美術展や博物館でも器はよく展示されますが、このようなテーブルウェアとなると現代の生活の一部です。(歴史に残された器も誰かの生活の一部だったわけですが)それが当たり前なんですが、見方が変わるとなんだか不思議なものです。

例えばマリー・アントワネットが使っていた食器は、美術展で貴重に保存されるわけですが、当時は食卓に並んで口をつけていたはず…(とはいえ、世俗の食卓レベルではないですけれども)。

時代ごとに生み出されてきた文化が今のプロトコールマナーやテーブルウェア文化にも受け継がれていると思うと、人間の暮らしって面白いです。

お茶の文化ひとつ取っても、私はたくさん恩恵を受けて、ふだんから一杯のお茶にとても癒しを得ています。女性はきっと皆さんそうですよね。

インプットを増やしているのは理由がありまして、今年はバレエ以外のいろんな分野を主体的に見る機会を増やそうと心がけているからです。

たくさんの方へ仕事でいろんなお話をする機会が増えてきたことも背景の一つです。

異分野でのプレゼンテーションに触れると文化の違いに気づくことができますし、分野に初心者の人が感じる独特の視点というのも発見できて、結果バレエの活動のタメになるという流れです。

バレエの世界にどっぷり浸かっていると、バレエ初心者さんの気持ちがだんだん想像しにくくなってしまいます。知っていることが多いから疑問を持たないようになってしまうからです。

いろいろな世界での「表現」というものを見つめていくと、表現ってこういうことなんだなと自分にとっての正解が浮かびます。

イベントの主旨であるテーブルコーディネートは、テーブルでなにかのイメージを表現するとはこういう感じなんだ、と新鮮でした。どこまでがテーブルコーディネートなのかという定義も行くまで考えていませんでしたが、空間や小道具も含めてなのですね。

静物で表現するというのは、ダンスをやっている人間からするとこれまた難しさがあるなと思いました。

というのは、物だけで勝負しなければならない。え、どういうこと?と思う読者さんもいるでしょう(笑)

いや、すごく当たり前のことだとわかっていますが、ダンサーと違って、自分の肉体や感情表現はないですから。それなのに、抽象的なイメージも伝えないといけない。

誰のための、どういう目的でのテーブルなのか。物選び、物の配置、テーマの伝わりやすさはどうか。なぜそれを選んだのか、なぜこの組み合わせなのか、そういった「なぜ」を静物だけで表現しなければならないし、あまりに安直な選び方でも面白くない。個性も出さなければならない。

美術も静物ですが、日常の道具の器でテーブルを表現するというのはまた独特の世界だなぁと感じました。

テーブルウェアフェスティバルのもう一つ良かった点は、器という作品をじっくり見ていくことができたこと。

職人さんが直々にいらしているお店が全国から集まっているので、どうやって作ったのか、どういう特徴なのか、どうやって使って欲しいのかを質問するといろいろと答えてくれます。

こんまりさんのときめきを大事にして片付けをするという哲学にも通じると思うのですが、やはり大切に使いたい物はどうやって作られたかを知りたくなります。ストーリーを知りたいのは、判断するというよりも、知ることで愛着が湧いていくから。ストーリーを聞いてやっぱりやめようとすることはあまり無くて、良いなと思ったから質問したくなるので、どちらかというと恋した人のことを知りたくなる気持ちに近いのでしょうか。

中でも、とこなめの急須職人で素敵な方に出会うことができて、嬉しかったです。台湾茶に使う小さな急須をあちこち探していたのですが、まさかここで見つけられると思いませんでした。

物がありふれた時代、このドームの中には所狭しとたくさんの作品がありました。

それらは決して大量生産・大量消費社会の嘆かわしい姿では無く、むしろ大切に作った職人と使い手の出会いの場でした。

あらためて、すでに持っている物や新たに出会った物を大切に使おうと思いました。

そして「この人の作ったものを使いたい」と思う気持ちがあるということは、物が介在しても、結局人は人から幸せを受け取るものなんだなぁとなんだか一人で納得をしてしまいました。

人によっては、使えればいいよとか、そこまで気にしないとか、そこまで嗜好がない人もいるかもしれません。でも私は物のストーリーも受け止めたい派。多くの物は持てない。持たなくてもいい。だから惚れ込む物を選びたい。選ぶという言葉の意味は、エレガントの語源でもあります。

素敵な器があって嬉しいというのも、器そのものだけに満足しているわけではなく、人が使い手を想像しながら大切に作ってくれたから。

大切に作られたからこそ大切に使いたいと思えるのは、とても自然で人間らしい感情ですよね。