「ひとりの哀れな、そればかりか不幸なうえに、孤独で病にとりつかれた男、かてて加えてーその身そのものが苦悩と化し、この世のあらゆる歓びを味わうことを拒絶された男が、みずから歓喜を創る者となり、世界に歓びを送るのだ!」
ロマン・ロラン、ベートーヴェンについて
第九―世界的讃歌となった交響曲の物語より
ベートーヴェンは交響曲の歴史に斬新な革命をもたらした作曲家として未だに栄光ある輝きを放っている巨匠ですね。第九をもとに描かれた壁画、クリムトの《ベートーヴェン・フリーズ》をバレエにした《星彩歌》でも当然ながら第九を使いますので、背景にイメージを膨らませていきたいと思います。
第一に、ベートーヴェンという人物像。なかなかイメージをつかむのが難しいですよね。というのも今となっては大作曲家と言われ、耳が聞こえなくなっても作曲をした素晴らしい大家と想像しやすいものです。
でも、実際のベートーヴェンは気難しい性格で、不機嫌で孤独が好き、怒りっぽい、という描写が用いられます。
ウィーンの都市では「都市を徘徊する幽鬼のような変人」として知られていたそうです。
一方で、もっと若い頃は社交的で仲間と打ち解けあう人柄であったという話もあり、病気と難聴になってしまったことも要因であることでしょう。
そんな人が100年以上の管弦楽から成る交響曲という形式のあり方を、独唱と合唱を付け加えた新しい形に生み出すことで伝統を変えました。やはり只者ではないですよね…。
個人的な憶測ですが、創作活動には孤独の時間も必要だと思います。社交的な時間ばかりでは、インスピレーションや思索をすることができないですから、やはり創造的な活動には少なからず孤独の時間が誰しも必要。ベートーヴェンは耳が聞こえなくなって人との会話が取りにくくなっていたとしても、自分のやり残したことを成し遂げようと人一倍に自分の心の声や霊感に耳を済ませたのではないでしょうか。
とはいえ、発表した初演はごく普通の演奏会の日で、人脈のある貴族らが来ていたものの、招待した皇室の皇帝フランツ1世一家はあいにく不在であったようです。
そんな奇人?のような性格を言い伝えられているベートーヴェンに珍事件がありました。
第九を初演する前のこと、ある民家の住人が「尋常ならざる憤怒の目つきでガラス越しに家のなかを覗き込む男」に気づいて警察に通報し、その男は「私はベートーヴェンだぞ!」とわめくも一晩拘置所につかまりました。翌日もしつこいために、地元の音楽監督が呼びされて確認したところ…「たしかに、ベートーヴェン氏ご本人です」これは周囲もみなあっけらかんとしたことでしょうね。
そんなベートーヴェンの音楽性はもともと音楽家たちに認められていましたが、晩年の第九の発表からまた音楽の歴史が変わったのです。
これだけ個性的な人物で、当時のメッテルニヒの治める政治体制にも反発できるほどの自由主義者でもあったそうです。そして第九のインスピレーションとなったシラーの詩は、ベートーヴェンが若い頃に出会ったフランス革命をうたう詩です。だからこそ、ベートーヴェン自身も音楽史に革命が起こせたのだろうと察することができます。
この影響は今の日本にも根付いており、第九は特別な交響曲として年末に演奏がひっきりなしに催されるほどですね。
そんな音楽でバレエ作品をみなさんと踊ることができるというのは、私にとってもオリジナルに創作するからこそできる体験だと意義を感じています。