「会議は踊る、されど進まず」世界史で覚えた方も多いことでしょう。1814-1815年のウィーン会議。
「踊るってどういうこと?」と現代では思ってしまいますが、実際外交の一環に舞踏会が催され、そちらの方が盛り上がりなかなか会議が進まなかったということをさしています。
本当に舞踏会が開催されていたのだ!ということに、昔の貴族たちは舞踏会が好きだったのだなぁと思ってしまいます。
(現代でも国賓におもてなしをする慣例があることを思うと今も同じですね)
実際、ヨーロッパでは舞踏会で国内の貴族が集ったり海外の人々と出会い交流を結ぶための重要な場であり、ずっと踊り続けるというよりその場で重要なことを話すことも多かったようです。
文字通りの社交場ですね。
そもそもウィーン会議とは、フランス革命の後にヨーロッパ中で権威を振るったフランス皇帝のナポレオン1世による断続的な戦争、いわゆるナポレオン戦争が終結したのちに、穏健なヨーロッパ秩序を取り戻そうとした西欧大国同士の会議でした。
ウィーン会議のあと、ヨーロッパ国際社会の歴史としては「長い19世紀」と呼ばれる比較的安定した時代をむかえます。
その意味は、大きな戦争が(大国のうちでは)少なく、外交官たちの絶妙な手腕により国交体制が落ち着いていたからです。専門家の見方によって、平和な世紀であったとも捉えられるようです。
この時代にクラシック音楽の発展が進んだり、バレエでは重要なプティパのロシアバレエの隆盛が起こり、チャイコフスキー(1840-1893)の三大バレエが誕生します。
市民生活にも影響は大きく、工業化と近代化により富を持った市民ブルジョワジーが台頭しはじめます。
それまでわずかな貴族に限られていたような趣味が広まるようになり、ビーダーマイヤーの時代が幕開けとなります。服飾、家具、工芸品なども近代化のあおりを受けます。
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これらは今年の「ウィーン・モダン展」にて展示されておりましたので実物を拝見しましたが、今でもモダンに感じられる美しさと洗練されたエレガンスがありました。Art & Ballet《星彩歌》のテーマとなっているクリムトも充実した展示がなされた美術展です。
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ヨーロッパ諸国で戦争が少なく穏やかな「長い19世紀」の始まりとなったのが、このウィーン会議で取り決められたオーストリア代表のメッテルニヒ主導のウィーン体制によるものであったのです。
その後1914年に第一次世界大戦が起きるまで、1848年革命(オーストリア、プロイセンでの革命運動)などが勃発するも、ちょうど100年にわたり影響は続いたという見方もできるそうです。(19世紀後半のビスマルク外交による国際秩序も大きな括りではウィーン体制の中にふくめるという研究者もいるそうです)
外交関係は当世のメッテルニヒや、ビスマルクといった個人の成果が大きかったため、「その当人がいなくなると崩れてしまう」というデリケートな構造ではありました。
ただ、それにより恩恵を受けていた民衆や芸術家たちだけでなく、彼らの作品を今もなお「クラシック」と呼び享受できている私たちもまた恩恵を受けている一人なのでしょう。
国の情勢や社会の状況は芸術にも多大な影響を与えますので、時代の区切りとしても「会議は踊る、されど進まず」の1814年は大きな意義ですね。