マイヤ・プリセツカヤさん(1925年〜2015年)のソ連を代表するボリショイバレエのプリマ・バレリーナの人生を紹介します。
子供時代からソ連政府の圧政でお父様を亡くし、ご自身も成人してから秘密警察に監視されるなど、苦難の多いご経験をされていらっしゃいますが、時代の運命よりも情熱が勝る!!「闘う白鳥」(自伝のタイトル)を体現するバレリーナです。
Performing in Don Quixote in 1974 https://en.wikipedia.org/wiki/Maya_Plisetskaya#/media/File:Maya_Plisetskaya_-_Quixote.jpg
1917年 ロシア革命によりソヴィエト政府が始まる(〜1991年)
1925年 ソ連モスクワ生まれ (レーニンがソ連指導者になる)
1931年 6歳 弟アレクサンドルが生まれる。(彼もバレエダンサーになる)※この年にアンナ・パヴロワが亡くなる。
7歳 父の仕事で北極スピッツベルゲン島(ノルウェー領)へ引っ越す。
1934年 9歳 休暇でモスクワに戻っている間にボリショイバレエ学校に合格、入学。家族で北極へ戻ることになる。
1935年 一人でバレエ学校のためにモスクワへ戻る。
1937年 父がスパイの容疑で捕まってしまう(翌年粛清で処刑され、50年秘密にされる)。翌年には母も収容所へ。叔母でバレエダンサー・指導者のスラミフィ・メッセレルに引き取られる。
1941年 スベルドロフスク(現 エカテリンブルク)に疎開するが、間違いでバレエ学校の疎開先と離れてしまう。モスクワに戻りバレエ学校に復帰する。
*1943年 18歳 ボリショイ・バレエ団に入団。レ・シルフィードの主要な役を踊り、アグリッピーナ・ワガノワに見出される。くるみ割り人形のマーシャに抜擢されるようになっていく。
1945年 20歳 第二次世界大戦終戦 徐々にライモンダ、白鳥の湖などの主演を踊るように。
1949年 24歳 スターリン生誕70周年記念コンサートに出演 毛沢東も同席
1951年 ロシア功労芸術家
1953年 インド公演に参加。瀕死の白鳥を踊る。スターリン死去
1956年 31歳 イギリス公演メンバーから外される KGB(秘密警察)の24時間監視がつくように。
33歳 作曲家ロジオン・シチェドリンと結婚。のちに海外に出向くマイヤに対して、夫を政府から人質のような扱いに圧をかけられる。
1959年 34歳 アメリカ公演出演 ソ連人民芸術家
1960年 ガリーナ・ウラノワ引退により、トップのプリマに昇格する。
1963年 38歳 初イギリス公演 ヌレエフ、フォンテーンと交流
1966年 41歳 「カルメン組曲」音楽 夫シチェドリン作曲により完成。翌年に初演。
1968年 43歳 初来日 東京バレエ団 白鳥の湖
1972年 47歳 「アンナ・カレーニナ」振付・主演
その後もベジャール、プティらなど世界的な振付家と仕事をする
1984年 59歳 イタリア・ローマ歌劇場芸術監督
1990年 65歳 ボリショイ劇場引退
68歳 舞台生活50周年公演(ボリショイ)
2015年 89歳 ドイツ ミュンヘンで亡くなる
2017年 記念切手になる
名言
より「私の人生は闘いの連続でした。」
「大切なのは、音楽につられて踊るのではなく、音楽を踊ることです。」
「踊りは、何よりも見る者の心を揺り動かすものではなければならない。」
ご主人様で作曲家のロデオン・シチェドリンさんと。
マイヤ・プリセツカヤさんは頻繁に来日されていましたのと、長く現役で踊り続けておられた方なので、今でも映像でも見られる機会が多いと思います。
気になる方はぜひチェックしてみてください。
https://www.youtube.com/results?search_query=maya+plisetskaya
クラブハウスで9月27日に、マイヤ・プリセツカヤさんの人生についてみなさんとお話ししました。こちらから再生を聞くことができます。
https://www.clubhouse.com/room/xXL0qZNR?t=0&utm_medium=ch_web_listening_time_link
関連記事