
子どもが一歳になりました。おかげさまでスクスクと順調に成長して、つかまり立ち・つかまり歩きから一人歩きへと進んでいて、目が離せません。忙しいですがありがたい日々を過ごせています。みなさんはお元気ですか?
公園に小さな子どもが一人で乗れるブランコがあり、隣に私も乗って、二人並んで別々にゆらゆらスウィングして遊んでいます。
こんなふうに誰かとブランコに乗ったのは、もしかすると小学生以来かもしれません。
気づけば、先日生まれたばかりと思っていた我が子と並んで、友達のようにブランコに乗って、アハハとお互い笑い合っているのです。
子どもの成長する時間と、自分が幼かった頃のノスタルジーが重なり合い、胸の奥がツーンとしました。
そしてこの時間もまた永遠ではないんだなぁ…と。こういう時間も今だからこそ。
子どもと毎日を一緒に生きていると、時間軸の過去・今・未来であったり、人間の生活の新たな視点を感じ、考えるようになりました。
時には心配ごとや大変なこともありますが、母として成長させてもらっている“感謝”の一言に尽きます。
季節を一周して、子育ての一年はこういう時間の流れ方をするんだなと体で実感をやっと得られた感じです。
赤ちゃんから教わることはたくさんあり、でも忙しいと忘れていってしまいそうなのが気がかりでもあります。大人が忘れていたことがこんなにも溢れていたのかと。もし忘れてしまってもまた見えないところで自分の中に生き続けていくと信じていますが。
- 一人で立って自由に歩ける喜び。ねんねしかできなかったのに、少しでもできるようになると赤ちゃんもママパパもうれしい。
- 好きな食べ物を自分の手で食べておいしいと感じられる喜び。お粥もドキドキしながら美味しそうに食べましたし、最近はイチゴを食べてニコッとしたのが印象的でした。
- 安心する人と目を合わせてニコッと笑い合える喜び。親だけでなくいろんな場所で出会う大人・子どもと言葉を交わさなくても心で感じ取っている姿はきゅんとします。
- 見たことのない新しいものに触れ、好奇心が湧くこと。見たことのない野菜や果物を見せたり、公園やお散歩で植物や自然のものをたくさん見せようとしています。生まれたときはすべてが知らないものばかりだったところから、自分と世界のつながりを毎日ひとつずつ結んでいる様子が愛しくなります。
- 夢と現実のグラデーションで生きている感覚。特に0歳は起きていても夢の中で生きていそうなフワフワとした次元を生きていて、だんだん物分かりがよくなってくると知っている物と知らない物の区別がついていく。それがグラデーションのような層になっていて、大人は「これはこうでしょ」と分かりきっていると思い込んでいる見えない世界を見ているかのよう。大人も忘れかけているけれどそんな世界を持ち続けるのが夢であるのでは…。
- 遊びが学びの宝庫であること。遊ぶことで物の触り方、扱い方、順序、性質、いろんな世界を知る。
- ものを教えることは、教えられること。図鑑にこれはこうだよと子ども向けに説明があっても、本当の真理は外に出て手足を動かし自分で学ぶことにある。本当の知識は与えるものではないということ。
- 子どもは自分で育っていく。大人がああさせよう、こうさせようとしなくても、自分で試行錯誤しながらどんどん成長していく。子どもは自ら成長したい生き物なのだなと感じる。
- 朝起きて生きているだけでうれしい。赤ちゃんが純粋に毎日を生きているだけで喜びいっぱいな姿は大人にも人生のたのしさを考えさせられます。
ほかにもたくさんあります。小さな気づきでも、ゆっくり味わうと大切なことが詰まっているように思います。味わうゆとりがあるかどうかは自分自身の問題。
その人らしい生き方や考え方のスタイルは、大人になるとだんだん固まっていき、変化するきっかけはあまり無くなりがちですよね。良くも悪くも、でしょうか。
私の場合は、出産してこんなに自分が変わるインパクトはこれまで無かったです。
「自分を変える」というのはいろんなところで語られることですが、意外にも自分を変えるって難しかったりします。居心地がいいからこそ頑固になっていっていまったり、変わることへの不安も起こりがちだから…。他人を変えるよりも自分が変わりなさいという話はよくあるけれど、じゃあ自分をすぐに変えられる人ってなかなか少ないんじゃないかと思うし、だからこそ人は悩むんじゃ無いかとも思うのです。
こんなに自分が変われる経験って人生にそんなに多くあるわけではないと思うので、そういう意味からもありがたい事なんだなと思っています。
これからの活動にも、より良い形で経験を豊かな表現や感性に反映させていけたらと思います。