ロシアのバレエは今では世界中に有名です。その「クラシックバレエの父」とも呼ばれる立役者で、ロシアのバレエ作品を60以上も創作した歴史上の人物がいました。
マリウス・プティパ Marius Petipa(1818〜1910)
これまでのブログでご紹介した、アンナ・パヴロワというバレリーナの若き学校時代・マリインスキーバレエ団時代の振付家・指導者でもありました。アンナ・パヴロワの伝記漫画を読んだ方は覚えているのではないでしょうか?(https://blog.coruri.info/entry/anna_pavlova_history)
マリウス・プティパはフランス人で、ロシアの帝室劇場で外国人振付家として最長期間働いていた人物でもあります。(初めてロシアに行ってから退職するまでに57年間)
チャイコフスキーの3大バレエが誕生した時代もこの頃で、プティパも創作したものもあれば、再演して蘇らせたりもしました。
そこで、プティパの人生とバレエマスターの功績をたどってみましょう。
マリウス・プティパの人生
1818年 フランスのマルセイユで生まれる。ダンサーの一家で、父はダンサー・振付家、母は女優、兄リュシアンとともにバレエを学び、そろってバレエダンサーになる。兄はパリ・オペラ座に。
1827年 初舞台「ダンソマニ」サヴォア人で猿を連れた男の子役
1838年 16歳で就職。フランスのナントの劇場でダンサーだけでなく振付家として契約を結び、振付のキャリアが始まる。その後パリやボルドーなどを転々とするも、安定した職につけなかった。
1843年 スペインに渡る (1846年 恋人を巡って決闘事件を起こし逃亡)
1847年 ロシアのサンクト・ペテルブルクで帝室劇場に移る。ロシアの下積み時代が始まる。23歳、フランスで初演されていた「パキータ」の主演と振り移しロシア初演の初仕事を皮切りに活躍を広げていく。
1848年 フランス人振付家ジュール・ペローがロシア帝室バレエの主席バレエマスターに就任。プティパは振付のチャンスが与えられず葛藤。
1855年 バレエ学校で教師も担当する
1859年 ジュール・ペローと代わって、サン・レオンが主席振付家に招聘される。プティパと温厚な協力関係を築く。
1862年 プティパが主導した初めての代表作「ファラオの娘」初演。6週間で3幕9場を完成。第二バレエマスターに昇格。サン=レオンは多忙で病も抱えるようになり、プティパが大きな働きをしていく。
1863年 プティパ版「海賊」初演(1856年パリ初演、1858年ペロー版初演からの改訂)
1869年〜 ロシア帝室劇場の主席振付家となる。
1903年 84歳で主席振付家を退職
1910年 92歳で亡くなる
多作のバレエ振付家
プティパは60以上の作品を振付した人で、生涯の作品数が非常に多い振付家です。
下積みの時代は、ジュール・ペローやサン=レオンの補佐を務めていました。
1848年〜 ジュール・ペローの代表作「ジゼル」「エスメラルダ」
1859年〜 サン=レオンの代表作「せむしの仔馬」
1869年〜プティパが主席振付家となってからは、さらにプティパ自身の振付が増えていきます。
主な作品
1869年 「ドン・キホーテ」(※初演するも、その後のゴールスキー版が現代で広まっている)
1877年 「ラ・バヤデール」悲劇のグランド・バレエ 帝室バレエではハッピーエンドが主流だった当時に画期的だった。豪華なディベルティスマン(余興のように見せ場となる踊り)と、ドラマティックなストーリー展開が当時よりも後の時代にますます評価された。
1884年 「ジゼル」プティパ版に改訂 パリで消えかけていた作品が蘇るきっかけになった。ジュール・ペローが初演の振付家だったが、ロシアに持ち込まれるも、現代ではプティパの振付が主流になっている。
1890年 「眠れる森の美女」初演
1895年 「白鳥の湖」(補佐レフ=イワノフと協力)
1898年 「ライモンダ 」
グランド・バレエの形式ができた
それまでの時代はバレエの演目の展開はあまり形式がありませんでした。もともと、オペラと一緒に一晩でバレエも踊られる成り立ちから誕生しているので、見せ場の構成などが現代のようには形式化されていませんでした。
プティパの時代にバレエそのもので立派な見せ場が出来上がるような、パドドゥ(二人の踊り)やパドトロワ(三人の踊り)のあるグランド・バレエの形式ができあがりました。
男女のパドドゥの形式
男女二人の踊り(アントレ、アダージオ)
男性のヴァリエーション(ソロ)
女性のヴァリエーション(ソロ)
男女のコーダ
さらに振付の特徴は、左右対称なフォーメーションや、幾何学模様の強調などです。いかにもアカデミックな、古典的スタイルであると呼ばれます。
バレエ音楽の改革を行った
プティパの時代より前は、バレエ音楽作曲ではレオン・ミンクスが活躍していました。ミンクスはもともとチェコ(またはポーランドの説?)の出身で、ヴァイオリニストでもありました。バレエの振付家の要求に合わせて踊りやすい音楽を素早く仕上げることが得意な作曲家でした。
プティパの時代には、バレエ音楽にも交響曲的な要素を取り入れ、表現性にも深みを引き出すことを目指しました。
「交響曲性」として1つのバレエ作品の全体で統一性をもたらし、テーマを設け、作品構成と音楽性の調和を目指しました。
交響曲性をバレエにもたらすきっかけになったのが、チャイコフスキーです。
もともとバレエが好きな人物でもあったので、バレエ音楽の価値が現代よりも格下に見られていた時代に、振付家の度重なる急な要望変更にも応じながら、バレエの組曲を書き上げました。
チャイコフスキーが初めて書き上げたのが「白鳥の湖」です。
1877年にライジンガーという振付家がモスクワで初演をしましたが、評価はそこそこで、振付があいまっていなかったのが要因だったようです。
音楽は評価されていたため、ロシア帝室バレエの主席振付家プティパと補佐のイワノフが独自に演出を変え、これが成功しました。
白鳥の湖は今でこそ有名な定番ですが、当時は音楽を作曲家の意向を聞かずに変更したり入れ替えることは日常茶飯事でした。でも白鳥の湖の主題が物語の表現を深めたことには変わりありませんでした。のちの1900年代以降になると、交響曲にバレエを振り付けることが多々出てきますが、まだ1800年代の当時はチャイコフスキーの白鳥の湖が画期的であったのです。
「白鳥の湖」でのバレエにおける交響曲性の発見により、眠れる森の美女、くるみ割り人形の創作にもつながり、これら3つが「チャイコフスキーの3大バレエ」としてよく知られています。
最晩年の「ライモンダ」と引退
プティパは60以上の作品を振り付けましたが、現代にもよく踊られる作品は一部です。その最晩年の時期で代表作になっているのが1898年の「ライモンダ」です。プティパは80歳でした。著名な作曲家であったアレクサンドル・グラズノフが音楽を書き、踊り手の技術も技巧的なレベルにありました。
その後プティパは体調を崩しがちになり、劇場内部もベテランのプティパから世代交代して新しい芸術主義的に移行しようとする流れが起こり、プティパにとっては最後の多幕物のグランド・バレエとなってしまいました。
プティパは1910年に亡くなります。ちょうど1909年から、前のブログで紹介した「バレエ・リュス」の時代が始まり、ロシア帝室バレエの枠を超えて、振付家・芸術家・興行主らが独自に世界へ活動を広げていくことになるのです。
バレエ・リュスの歴史(ディアギレフ時代1909〜1929年) - バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ
作品例
スイスの乳しぼり娘
グナラダの星
蝶と薔薇とスミレ
摂政時代の結婚
ベニスのカーニバル
青いダリア
テレプシコラ
ファラオの娘
レバノンの美女
旅のバレリーナ
フロリダ
タイタニア
施しの愛
カンダウル王
ドン・キホーテ
トリルビィ
二つの星
カマルゴ
蝶
山賊
ペレウスの冒険
真夏の夜の夢
ラ・バヤデール
ロクサーヌ、モンテネグロの美女
雪娘
理髪師フリサックあるいは二重結婚
ソラージャ、スペインのモール娘
夜と昼
キプロスの像(ピグマリオン)
悪魔の丸薬
国王の命令
愛への供物
巫女
護符
蝶々の気紛れ
眠れる森の美女
睡蓮
カルカブリーノ
妖精物語
フローラのめざめ
騎兵隊の休止
魅惑の真珠
青髭
テティスとペレウス
ライモンダ
恋の戯れ
四季
アレルキナーダ
デュプレの弟子たち
侯爵夫人の心
魔法の鏡
薔薇と蝶のロマンス
新演出・協力による
パキータ
サタニラ、または愛と地獄
海賊
ファウスト
カタリナ
ナイアードと漁夫
ダニューヴの娘
酒保商人の女
ひなぎく
ジゼル
コッペリア
ディアーブル・ア・カトル
無益な用心
エスメラルダ
ハレムのチューリップ
フィアメッタ
ラ・シルフィード
くるみ割り人形
シンデレラ
白鳥の湖
せむしの仔馬
ほか、オペラのためのバレエシーンも振付
参考
まとめ
さて、ここまでいかがでしたか?
1800年代のロシアバレエがなかったら、ヨーロッパでは消えていた古典バレエが多々ありました。また、チャイコフスキーとプティパ&イワノフのコラボレーションがなければ、現代の「白鳥の湖」「眠れる森の美女」は存在しなかったのです。
現代でも多く上演される人気のクラシックバレエ作品を創作したマリウス・プティパには、生前当時よりも今もっと高く評価され続けており、これからも生き続けるでしょう。
クラブハウスのトーク
クラブハウスでマリウス・プティパについてトークしました。
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マリウス・プティパの功績について バレエルーム💕🔰OK!芸術・美学・解剖学ゆるく語る部屋 #23 - 愛と癒しのバレエCLUB