「清水の舞台から飛び降りる」の言い回しで有名な清水寺のルーツが、長野にあるって知っていますか?
前の記事に書いた、乗鞍の由緒ある梓水神社を教えてもらったスプリングバンクさんにて、「京都の清水寺のルーツが乗鞍の近くの山形村にある」という話を教わり、帰り道に立ち寄ってきました!
長野県山形村の清水寺(きよみずでら)です!
乗鞍から車で1時間ほど、松本電鉄でいうと波田のあたりから山形村方面に進み、清水高原(きよみず)を目指します。かなりの山道で、標高約1300mと急坂を登りました。道のイメージは、白骨温泉に行くような細い山道。
どうやら昔長野県山形村の千手観音像が、京都の清水寺に移されて、あの有名な京都の「清水寺」ができたということなのだそうです!!
びっくりですよね!
仁王門 石造の仁王尊は東日本で珍しいそうです。たしかに、関東出身の私はあまり見たことがありませんでした。
入口の前は、見晴らしがよく松本市中心部の方まで見下ろせます。木を切り拓いてあるので、観音様がみんなを見下ろしているかのようでした。
しかも到着早々雨が降ってきて、けっこうな通り雨だったので車で待機したのですが、その直後この眺めから虹が町方面にかかっていたのです…!
↑ちょうど中央のあたりが横にレインボー色に光っています。
こんなに大きな虹を山の上から見下ろすって、初めての体験でした!!
名前も清水寺だけに、天からの水で空気丸ごと清められたような気持ちになりました。
雨上がりの清水寺!
参道を上がっていくと、観音様がお寺のあちこちで見守っているようにおられました。
百体観音(回国観音像)といい、巡礼の代わりにご利益が授かれるようたくさんの観音様を集めたものだそうです。
観音様は人々の色々な苦しみ・悩みを全て救ってくれる仏様で、各場面に適した姿に変わり救ってくれるという。
その姿は33あるといわれ、三十三観音が生まれた。
この観音霊場は、西国、坂東、秩父と呼ばれるそうで、全てを巡礼する代わりに「回国観音」と呼んで百体の観音を作ったのだというありがたい観音様なのだそうです。
かわいらしい道になっています。
天然記念物の巨木アララギ
しっかりした幹は、ぶれることなく垂直でした。
自然豊かな森の中なので、地面から新しい芽も生えていて、生命の循環と自然の摂理も感じます。人工的な感じではなく、山とともに生きてきたお寺という印象の空間。
729年(天平元年)釋行基が千手観音の尊像を彫ってここに安置し創設
延暦年間、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、山形村の清水寺を参詣し、征伐の成功を祈願
霊験あらたかであったため、千手観音を京都へ移し、それが京都東山にある清水寺になった
という言い伝えがあるそうです。
前立観音像(千手観世音菩薩像)これが山形村の清水寺にある方で、江戸時代初期の作といわれる。普段は見られませんが例祭でご開帳されるのだそう。公式サイトより
ちょっと気になるので、京都の清水寺の千手観世音菩薩の写真と見比べてみましょう。
京都・東山 音羽山の清水寺 十一面千手観世音菩薩
本当に山形村から移したのかは定かではないそうですが、山形村の清水寺のパンフレットによると…
全国に100程ある「清水寺」の字を持つ寺院は一桁しかないという。
脇手の一双を頭上で組む清水方式の千手観世音菩薩像で、京都清水寺の千手観世音菩薩像と同じ様式(清水様式の千手観世音菩薩像は全国に数体しかないといわれる)である。
生で見比べていないのでわかりませんが、なんだか好奇心をそそられますね!
観音様の様式もいろいろあるんだ〜と、知りました!
山奥にあるため維持が難しく、徐々に江戸時代になる頃にはすっかり荒れ果ててしまったそう。
そこへ、1709年(宝永6年)堂主の禅心が苦心で浄財を募って再建を図り、1726年に観音堂を、翌年に鐘楼を再興しました。禅心は1735年に亡くなりますが、その後の意志を継ぐ人が表れたり、現在では村民の保存会が管理をしているそうです。
たしかに街中から清水高原まで上がってくるのに、車のすれ違いもしにくいような細い道路でもあったので、維持は大変だったんのだろうなということが容易に想像できます。
ちゃんと休憩所などもあります。
雨がぐんぐん乾いていって、晴れてきました。
建物の屋根は曲線を帯びていて、色は白、水色、青といった配色があります。
丸みがあるのも水らしさなのかな?と勝手に思いました。
青いアジサイが似合います。
本堂のまわりは苔がきれいに整えられていました。
赤いキノコ、かなり特大!
虹が消えて、すっかり晴れました。
清水寺森林公園との看板が。どうやら展望台は今はない様子?
帰り道に道路の脇をよく見ると、祠などがありました。
ドライブに立ち寄れる方はぜひ、お参りしてみてはいかがでしょうか。