バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

バレエヨガインストラクター三科絵理

フェリというアーティスト。存在感の特別な輝き

アレッサンドラ・フェリという美しい世界的なプリマバレリーナがいます。今、55歳なのだそう。私が子供のころのアイドル的世代の方です。

なかなか生で拝見することはできなかったのですが、子供のころから雑誌などの写真や批評文を読んでは、「女優」だというイメージがゆるぎませんでした。

フェリのジゼル。フェリのカルメン。フェリのジュリエット。役柄の人生を演じる姿は、まさに役柄を生きている姿そのものでした。

今年の8月に東京で開催された世界バレエフェスティバルにフェリはマルセロ・ゴメスと共演してくれました。

44歳に引退してから、50歳で舞台に復帰。55歳の今、フェリの姿は経験と努力を積み重ねた人にしか包まれない美しい光で満たされていました。

「アフター・ザ・レイン」というクリストファー・ウィールドン振付の作品では、ほとんどレオタードのみで脚はタイツもなく素足。

つま先で語るバレリーナとも言える、フェリのあのつま先はそのまま。

長い髪をそのまま下ろし、とてもシンプルな動きで、何も隠せないほどに素の人柄がすべて現れるような作品でした。

ゴメスと言葉のない空間でひっそりと心で通じ合う姿が目に焼き付いています。

シンプルだから、何もごまかせない。

その世界の中で、やはりフェリもゴメスも美しかった。

人間って、こんなに美しい生き物なんだ、とあらためて知るような思いでした。

それも、誰しもが到達できるわけではなく、熱心に時間を積み重ねてきた人が醸し出せる輝きでした。

堂々とした姿に、何の迷いもなくこの作品をずっと選んだのかなぁ、すごいなぁと感じていましたが、Vogueのインタビューにこう答えていました。

独占取材、世界バレエフェスティバル。アレッサンドラ・フェリの魅せる世界。2018年8月8日

勇気がいるでしょう(笑)。私たちは、社会が強いている“美しさは若者だけのものである”という固定概念を乗り越えなければならないんです。すべての年代の人に美は存在しています。私はダンサーとして、自分の55歳という年齢を誇りに思っています。この年齢でまだ踊ることができて、表現できていることを。

やはり勇気がいることを感じていて、それでも社会通念に立ち向かおうとした表現の結果なのですよね。まさにアート。アートとは、たんに美しいものを生み出すことではなく、社会へのメッセージでもあるからです。

もう一つ「オネーギン」というドラマティックバレエもゴメスと踊ってくれました。(ササキガラのウルフ・ワークスは観れませんでした)

「オネーギン」のタチヤーナの演技では、恋人に裏切られ悲しみに打ちひしがれるヒロインのラストシーンでした。

声は無いものの、表情は叫びそのもの。

聴覚としての叫びは聴こえてこない分、観ている者としては想像で叫びが脳裏にこだましてきます。

否応無しに胸を引きちぎられるような痛みが襲ってきました。

タチヤーナの感情表現を支えるためのクラシックバレエのテクニックも文句なしに安定感抜群。

踊りでもたついていては感情表現どころではないのは当たり前。

フェリは、踊りの中のテクニックと感情表現との二つでいうと、感情表現の訴えてくる割合が多いものの、テクニックは演技を邪魔せずむしろ勢い増していくかのようにバレエのステップが存在していました。

役柄を心底感じ切って、舞台で感情を生きるために、バレエのステップが存在する。

女優フェリとは、こういうことか…。

あらためて、納得したのでした。

さらにvogue のインタビューではこう語っています。

良いダンサーにはいつか終わりが来ますが、優れたアーティストには終わりが来ません。アーティストは年齢と共に自分を変容させることができるのです

ダンサーとアーティストという定義を分けていましたが、言いたいことは伝わってきますね。ダンスのテクニックや体力面では、年齢をおうごとに限界がやってくるかもしれない。でも、それは自分の気持ち次第なのだと。

若さが美しさそのものなのではなく、どんな年齢の人にも美しさというものがあり、それを自分でどう向き合っていくか。世界の誰でもない自分だからこそ表現できる人生を生きる人こそが、アーティストだなぁと私は感じているので、フェリの言う「アーティストは年齢と共に自分を変容させることができる」という言葉に深く共感をしました。

インタビューはこちらの記事から引用しました。