バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

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新・北斎展 画狂老人卍 90歳のパワー

新・北斎展(六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー)に先日行ってきました。展示点数は、400点超で、とにかく多いです。しかも小さくて細密な作品が大半なので、ひとつひとつ見るのに時間がかかり、人も多いです…それでもやっぱり観に行った方がいいです!

コレクションのほぼ大半が、島根県に寄贈された永田コレクションの作品で、永田先生という研究者が自ら熱心に蒐集した膨大な作品群なのだそうです。東京でこんなに多数まとめて観られるのは最後のチャンスになると言われています。

北斎といえば、The grate wave で知られる、『神奈川沖浪裏』(かながわおきなみうら)が有名ですよね。富嶽三十六景の一図。実物を見られて、繊細な色と波の勢いの描写に驚きました。

最近もかの有名外国人アーティストの来日ライブポスターに使われていたのを見ました。日本国パスポートの新デザインにも富嶽三十六景が採用されるようです。

90歳まで生きた北斎が晩年自分の号としていたのが〈画狂老人卍〉。なんてユニークでクレイジーな名前なんでしょう(笑)。70代を過ぎてもまだまだ自分の画風に挑戦を続けて、自分の可能性を探し続けた人なんだということがよくわかりました。

北斎のイメージがガツンと変わりますね。

19歳で絵描きを始め、師匠につくも紆余曲折で、師匠に絵を破り捨てられたり、引っ越しを30回?も繰り返したり、画号は30も変えていたそうです。(細かい数字はガイドのうろ覚えです)

版画の浮世絵のほか、貴重な肉筆画も残されていて、掛け軸や絵巻物などがありました。

シーボルトが日本から持ち帰り、ホクサイスケッチと呼ばれ、北斎漫画が西洋に広まっていったそうです。そこから印象派の画家たちのジャポニズムにつながっていくなんて、ドキドキしてしまいます。

北斎も後期になると西洋や外国の絵の大きさ、寸法、構図などに多少刺激を受けていたそうです。

そして、浮世絵は絵の具の色が限られるんですね。展示のボトルをみてはじめて気づきました。墨、弁柄、洋紅、本藍、彩藍、雌黄、石黄があり、要は赤、黄、青、藍程度のわずな数。(西洋の方が顔料は進んでいたのでしょうか)富嶽三十六景では西洋から持ち込まれた希少なペルシアンブルーの絵の具が使われていると解説されていました。ルネサンス以前のころの聖書のミニアチュールや、真珠の耳飾りの少女で有名なフェルメールにはラピスラズリのブルーが美しくて好きですが、やはり青は北斎にとっても大切な色だったのだろうと空や海の風景を眺めながら感じました。(ちなみにcoruri も小瑠璃、青い瑠璃色の鳥の名からもらいました。)

版画は、情報価値としても人々の心の支えとしても重宝された江戸時代。

版画という性質上、線で描写力を上げるしかないという日本独特の「制限」が、かえって画家の才能を伸ばしたのは間違いありませんね。

西洋の遠近法とは違うオリジナルでユニークな表現手法。今のわたしたちからしても、写真や写実画の世界を知っていて慣れてしまっているからこそ、非常に個性的です。

モネもピカソもどういう眼差しで見つめていたんだろうと思いますね。モネの家には今も浮世絵が壁に一面飾ってあると聞きます。ピカソは自分を北斎にならって西洋の画狂老人だと言っていたそうです。

浮世絵は今でこそ芸術作品としてじっくり鑑賞するように額装されて眺めるものですが、当時は大切な情報手段でもあり、読み本や絵手本からあらゆる物を描いていた北斎の仕事人っぷりに圧巻でした。

西洋画の美術館と違って、浮世絵は日本の庶民の暮らしを生き生きと描いているので、観る人たちも親近感を持ちやすいなと思いました。知っている地名もたくさんでてきますし、見慣れた古き日本の新たな一面をのぞいているかのような体験でした。

紙の組み立ておもちゃというものがあったそうで、完成度に驚きました。

巨大化したレプリカが撮影オーケーになっていました。

子供には複雑すぎるペーパークラフトで、大人向けということになっていたそうです。江戸っ子らしい粋な感じ、のれんも翻っていたり、人々も生々しい存在感。センスを感じました。

なんだかわたしも生きなきゃって思わされたようでした。

みなさんも、日本人だからこそ新・北斎展見ておくと現代のルーツを感じられて、ぜひおススメです!