バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

バレエヨガインストラクター三科絵理

ジュリエットのソロを創作するまでの私自身のストーリー

いよいよロミオとジュリエットの《ジュリエットのヴァリエーション》を皆さんとレッスンで開催する日(5/14)が近づいてきました!

憧れの作品ですし、実際に創作を着手してから年単位で取り組んできているので、私にはすでに人生の一部のようになっています。

創作の裏側は、ボツもあり、試行錯誤あり、バレエ創作にも紆余曲折があります。

このタイミングに記念として書いておきたいと思います。

他者からすると、創作者ならではのエピソードというのは、芸術鑑賞・体験をするときに興味をそそられることです。

私も美術鑑賞・音楽鑑賞するときには作者の人物について関心を持ちます。

そうであるならば自分としても創作者としてのエピソードを書いておく方がいいとわかっていつつも、なかなか前途多難な道のりを書いていくのは大変です。

きっとこの作品は私にとってまたひとつ特別なヴァリエーションになると思っています。

忘れかけていたことも思い出し、YouTubeでお話しし切れていなかったいきさつも書いてみます。ロミオとジュリエットを踊ってみた!(ジュリエットのソロ:プロコフィエフ) - YouTube

音楽選び

プロコフィエフの音楽はドラマチックなので、バレエのテクニックをシンプルに振付するには難しいです。

やはり音楽性をいかして調和をはかりたいものです。

無理矢理ならばどうにでも振付すればいいのですが、そうもいきません。

踊りが難解になっては、レッスンでみなさんが理解できなくなってしまいます。

「見ている人の心地よさ」と「踊る人の心地よさ」どちらも大切にしたいと考えています。

その上で、ロミオとジュリエットの全幕の音楽の中から、候補に上がったのは主に四つでした。

  1. 既存で定番になっている最初のジュリエットのヴァリエーションの音楽

  2. 自室で乳母と遊ぶジュリエットの場面

  3. 寝室で最後となるお別れをする場面

  4. 墓場の場面

いずれもプロコフィエフの「ロミジュリ」と分かる印象的な音楽ですが、音楽の質感と時間尺がまったく違います。

1の既存のヴァリエーションの音楽は、ケネス・マクミラン版で有名なので、オリジナルの表現にするために除外しました。焼き直しとして、あえてトライする可能性もありだったのですが、やや暗めの心情を感じてしまうので、もっと若々しく明るいキラキラした音楽にしようと思いました。

そこで厳選した結果、寝室の場面の音楽になりました。

オーケストラ曲とは別で、プロコフィエフ本人がピアノ演奏会用に「ロミオとジュリエット」の組曲として作曲していた楽譜があることを知り、10曲目の7分以上ある音楽から一部分を切り出すことにしました。

その曲は墓場の場面の音楽につながっているのですが、入れると五分以上の長いヴァリエーションになるため、今回は1番盛り上がるメロディーの場面だけで構成したのです。

音楽選びで決心が固まるまで、2ヶ月以上かかった記憶があります。

なぜかというと、2 の乳母とジュリエットが遊ぶ場面の音楽でチャレンジした期間がありましたが、意図に合わず辞めることにしてから、音源の探し直しが発生したのでした。

その間も「ロミオとジュリエットで1番私が表現したい核とは何なのか?」と自問し続けました。

ロミオとジュリエットといっても、いろんな切り口がありえます。

幸せな二人の時間なのか。悲劇の瞬間なのか。出会いの瞬間なのか。

私は女性ソロを作るという形式は決まっていましたので、ジュリエットが一人で踊るならば、ロミオへの恋心の美しいところを絞り込もうと思いました。

物語の中では、展開によってジュリエットの思考も変わります。バルコニーで恋心に浸っている時なのか、駆け落ちを考えているときなのか、眠り薬を飲もうとしている時なのか、それぞれ考えることは違いますよね。

「具体的な場面のこの瞬間を再現する」と決めるよりも、ロミオとジュリエットの全体を通して、《ジュリエットの純粋な心の高まり》を抽出しようと考えに至りました。

ただ、音楽はたいてい場面とセットになって作られていますので、私の設定と音楽のギャップがあります。

発想するには頭でワンクッション置き、変換が必要でした。これは創作してみるまで気づかなかったことでした。

例えば、「この作品は寝室にいるシーン」と具体的に決めてしまったら、ジュリエットの目線からすると、「ロミオと無事にマンチュアで落ち合えるのか?」「今はロミオは無事なのか?」「家族に見つからないか?」そちらに偏ります。私がロミオとジュリエットの作品全体を通して頭で編集したジュリエットは、もっと人類普遍の愛でした。

ですので、ある場面だけを具体的に再現するよりも、愛を信じるジュリエットの美しい姿を肖像におさめるようなつもりで一曲にまとめようと思いました。

コンセプトは、完成(決定)してから言うのは簡単ですが、創作過程ではたくさんの可能性を探し、答えのないところから自分で決めていく作業です。

「何が決め手になるのか?」というのも、自分次第なのです。

あなたがもし「何か好きな絵本を書いて」と頼まれたとしても、慣れていなかったら何を書けばいいのか困ってしまうことでしょう。

優柔不断になっていては、作れません。

「小道具やアイコンとなるものをどうするか?」についても、テーマを絞り込みながら考えていきます。実はコスチュームでも小道具を用いるか検討した物があったのですが、今回は辞めました。採用しなかったアイディアが無駄になることはなく、また将来アイディアが復刻することもあるので、不採用になることも恐れずに行動していきます。

シェイクスピアの言葉を読む

次は、シェイクスピアの戯曲で書かれているテキストが大切でした。

バレエ鑑賞していても実は戯曲を読んだことない方が圧倒的に多いのですが、私はシェイクスピアを読むのが好きなので、創作にもテキストは欠かせないと思っていました。

プロの公演で演じるダンサーは、踊るならば読んでおくべきでしょう。

レッスンにお越しになるには読めていなくてももちろん大丈夫です!

読んでいく中で、バレエで親しんでいた世界観と戯曲のギャップを感じました。

  1. ジュリエットと出会う前のロミオがロザラインに恋をしている姿

  2. 若い男性ならではの性愛的な目線が友人とのやりとりで浮かんでくること

  3. キャピュレット家(ジュリエット側)の父がロミオのことを立派な青年のように言い、憎しみいっぱいで敵視しているわけではないこと

  4. ジュリエットがロミオに出会うまで受け身だったのが、結婚へと積極的に言い始めること

  5. 修道僧ロレンスが中立的でありながらも人間味があること

  6. 悲劇の顛末のあと、両家を共に平和でいられるように厳しく諌められること

  7. この物語はシェイクスピアが最初に書いたのではなく、たくさんの作家の手が加えられていたこと

こうした発見は、ロミオとジュリエットの世界を具体的で身近に想像しやすくなる材料となりました。

傑作は大きな存在であると感じるほど、自分の手で料理しにくくなってしまいます。

でも戯曲の言葉で読めば、ロミオとジュリエットも生々しい人間の一人だということを感じられるのです。

特にバレエでは言葉がない分、その役柄の人間性の美しい部分が引き立ちますので、ある意味インスピレーションとしては神格化され過ぎてしまうと重みがなくなってしまうのです。

自分の人生の一部として感じられるくらいでないと、創作しにくくなってしまうため、自分なりの踊りに落とし込んで変換するには、ダンス以外のメディアからもインプットをします。

「じゃじゃ馬ならし」鑑賞

このようなプロセスを経ていきながら、シェイクスピアの文学にも視野が広がりました。

ちょうどいいタイミングに、生の舞台鑑賞でモンテカルロ・バレエ団のジャン・クリストフ・マイヨー版「じゃじゃ馬慣らし」を観る機会が出来ました。

じゃじゃ馬慣らしはシェイクスピアの中でも珍しく喜劇の物語です。

振付者のマイヨー氏はバレエ界の中でもモダンなスタイルで、独特な世界観を作り上げてしまうベテランのクリエイターで、生の舞台の空気でいかに表現スタイルを作り上げているのかが見られました。

バレエといっても振付家によって作品のスタイルはまったく違います。真似をするというのも出来ないくらいにそれぞれ変わったものになっていきます。

私としては、自分が踊りたい方向性があり、それを整理しながらまとめあげていくのが自分のやるべきこと。

どの振付家も独自のやり方・プロセス・ゴールがあります。

自分のスタイルって何だろう?と考えることよりも、ここでは何をしたいか?何を伝えたいか?何を踊りたいか?それを1作品ごとに一問ずつパズルを解いていくようなものです。

マイヨー氏の舞台を観て、そのときシェイクスピアの戯曲で頭の中がいっぱいだった私は、軽やかに勇気づけられました。音楽がショスタコービチであったことも、プロコフィエフの音楽漬けになっていた私の心を軽くしました。

バレエを踊るときは私の言葉を紡ぎます。

心を基軸にして、私の言葉を探していけばいいのだと思えたのです。

考えすぎなくても、心で感じることをパッチワークしていくようにすれば、作品は出来上がっていく。

このように周辺の作品から勇気づけられるものがあったら気づけるように、常にアンテナを張っています。

音楽を聞き込みステップを探す

テーマと方向性が定まってきたら、音楽を覚えて、合うステップを探していきます。

無意識で偶発的に作った動きが面白いと思ったら、ビデオで録画します。

リズム感、スピード、間合い、メロディーの気持ちを楽譜で見たり、頭の中で整理します。実にこれが、脳を疲れさせます(笑)。

なぜなら、無数の選択肢を想像しながら、偶然できた振付を記憶しなければなりません。

完成した振付を覚えるよりも、未完成のパーツを覚えていくほうが大変です。

しっくり来るまで組み合わせを練っていきます。

しっくり来ないときは原因がありますので、分析します。

メモ書きできるとはいえ、体を動かさないと確かめられません。

パズルのピースを自分でこしらえながら、場所を探してはめていく作業とも言えるでしょう。座標軸になるのは音楽のタイムラインです。

「振付はどこがゴールなのか?」というと、あるようでないようなものです。振付家の狙った世界が存在しているかどうか。

プロの舞台であっても新作は直前まで調整が続いたりするものです。振付を変えようと思えば変えられますが、どこかで定めるタイミングがあります。

私の場合はレッスンでみなさんと踊るためにまず公開するので、その上で定めるタイミングがやってきます。

これでいいなと判断できるのは何なのかと言われると、ビデオで確認して、自分なりの自然な流れができており、踊っているときの矛盾もなく、踊っていて「気に入っている」という感覚があるか?がポイントになります。

そうはいっても、思考と感覚と意識の中で判断プロセスをしているので、言葉にしにくい世界です。

でも、創作し続けながら1番大事なことは「気に入っている」という感覚までたどり着けるかが大切です。

踊ってみて一応流れができていても、しっくり来ないと気に入るところまで至りません。

振付の見た目だけが大切なのではなく、動線と空気の流れを肉体で感じて、自分なりの言葉が自分なりの文法で語れているか?を確認しています。

振付のテクニックとつなぎ方についても、自分なりに咀嚼しやすい状態になっているかを感じ取っています。

A, B, Cという事柄が連続的に出てくるときに、AとBの間にダンサー的な踊りやすい流れができているか。急な展開ならばA'が必要なのか。それともまったく新しいDを差し込まないといけないのか。Aの次にBは相応しくないのか。そういったことを考えて振付を作っていきます。

ジュリエットらしさの鍵はアームスだった

ジュリエットは14歳くらいの若い女の子で、しかも恋に落ちているキラッキラの感性が光っている状態です。

もしロミオと恋に落ちていなかったら、同じ年齢のジュリエットでもこんなに瑞々しくなかったかもしれません。

そう思うと、出来上がった振付をチェックしながら大切になったのが、アームスでした。

「手のひら」はロミオと仮面舞踏会で出会うときに最初に触れた(ロミオがジュリエットの手をとった)意味でも大切だと思っていました。

そして音楽と振付のバランスを考えている時に、アームスをおしゃべりにする感覚がポイントであると気づきました。

おとなしいとジュリエットに見えなくなってしまうのです。

もちろん足のステップも含めて全身で舞い踊るのですが、中でも「アームスがどれだけ宇宙を舞うことができるか」が私にとっての鍵になりました。

今まで創作した作品群の中でも1番おしゃべりな方です。

恋に落ちたジュリエットはロミオのことで頭がいっぱいです。

でも二人の恋は秘密なので友達に話すことができません。

ただ頭の中はロミオのことがずっと気になり、ロミオから見た自分のことも気になり、二人が安心して一緒になれる日がやってくるかどうかもずっと気になっていたはず。

おしゃべりなアームスは、起伏の多いプロコフィエフの音楽ともしっくり来ます。

秘密を胸に秘めたハラハラドキドキのジュリエットのいろんな言葉が、正直に顔にも身体にも表れてしまっていると思うと、なおさらジュリエットという娘役への感情移入も高まります。

振付を抱え始めるとゴールにたどり着きたい欲が生まれる

一度なにかの作品を作り始めると、完成させたくて常にアイディアを探しています。

愛着のあるテーマを選びますが、そこまでに至らないときはまだ着手しませんので発芽しない保存したままの種のような状態です。

いざ着手し始めると種をようやく土に埋めて水やりをはじめているようなものなので、その段階になると次が気になります。そして、早く完成した姿を見たくなります。

自分なりのレースが始まったようなものです。

別に人と競争しているわけではないのですが、インスピレーションを感じているときはタイミングが大切です。

時間が経っていくと冷めてしまったり、感覚が鈍ったりして、アイディアが自分から離れていきます。

なので、ここぞという波があったら、大波に乗って飛んでいくつもりで頭の中をダイブさせています。

ひとつの作品ずつにストーリーがある

私が作品を創作していて感じるのは、作品ごとにそれぞれの人生ともいうべきストーリーが個々に存在しているということです。

美術館でも絵画が並んでいるところで画家本人からするとその絵を描いた日のことや、モデル、場所、天気、家族とのやりとり、描いた後の出来事などもたくはんあることでしょう。

バレエにもやはり作品ごとのストーリーがあります。

私はバレエレッスンのための作品と自分でパフォーマンスするための作品を創作していますが、私一人だけの段階のストーリーもあれば、公開したあとのみなさんとの体験からも生まれるストーリーがあります。

バレエ作品についての背後のストーリーまでなかなか感じる機会は少ないかもしれず、特に鑑賞するときは作品の中に起きている踊りの出来事をおいかけるだけてもいっぱいいっぱいになるものです。

そこからさらにお気に入りの作品ができたときには、みなさんにとっても人生の一部となるようなバレエがあるかもしれません。

今日は私なりの創作者目線でのストーリーをご紹介しました。

みなさんもお気に入りのバレエをご自分のストーリーに織り込んでみてください。