バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

バレエヨガインストラクター三科絵理

狂おしいほど、愛。 椿姫のパドドゥ

8月の世界バレエフェスティバルのBプログラムでは、私の大好きな「椿姫」の名場面が、本拠地ハンブルグバレエの2組のダンサーによって披露されました。振付はジョン・ノイマイヤー、音楽はフレデリック・ショパンです。全幕公演を観に行っても、違うペアの主役を観ることはないので、世界バレエフェスティバルという特別ガラ公演の中でこのように盛り込んでくださったのがとても嬉しかったです。

この物語でいつも感じるのは、椿姫がアルマンという純情な青年に愛され、破滅していく危険をわかっていても、愛も暴挙も受け入れて、病死に近づいていく様に心打たれます。悲劇なのですが、あたたかい母性に包まれます。

ガラ公演なので、直前はまったく違う作品が差し込まれている公演構成でしたが、どちらのペアもすぐに物語に引き込まれました。

第2幕のパドドゥを踊ったのは、アリシア・アマトリアンとフリーデマン・フォーゲル。

アマトリアンは、長い金髪をふわふわとなびかせながら妖精のようでいて、とても儚げであどけない少女のようにも見えます。それがまたファンタジーの世界へ引き込まれてしまいます。

フォーゲルは、とても生き生きとした爽やかな貴公子。健やかそうな青年がそれでも夢中になっていき、第2幕ということもあってか猟奇的な感じよりは、真剣さが際立ちました。

真面目な人がどんどん真剣にのめり込んでいく…。

考えてみてください。それはそれで危険な「破滅」の入り口にも感じられるものです。

まさに椿姫の世界でした。全幕でも見てみたいペアです…。

第3幕のパドドゥは、アンナ・ラウデールとエドウィン・レヴァツォフ。

夫妻の息がばっちりと合うドラマティックな演技は前にも全幕で観ていたのですが、また観られて嬉しく、そして飽きないのが自分でも不思議です…。

ラウデールは、賢く聡明な女性の印象を感じます。原作でも、椿姫(マルグリッド)は、恋人アルマンの弱さも危うさも分かっていながらも、彼の猛烈な愛情に心を開いていく人なので、ラウデールのそのドラマにリアリティーを感じてしまいます。

レヴァツォフは、この時代のブルジョア階級の貴公子らしさが似合います。

猟奇的で危うい貴公子で、椿姫のためなら何でもしてしまいそうな怖さがあります。

その貴公子らしさは、作曲家ショパンも「こんな風な貴族社会で生きていたのだろうな」と妄想させます。

文学のイメージを広げさせてくれるダンサーというのは、素晴らしいことですよね。

ジョン・ノイマイヤーはコリオグラファーは語る (パフォーミング・アーツ・ブックス)の本で「椿姫」が誕生するまでの秘話、想いを語っています。昔の本ですが、彼の思考と感性、かつての師ジョン・クランコとの自分の考えの違い、ベジャールと共感できること(特にエモーショナルな点)などのエピソードも興味深いです。

ノイマイヤーの椿姫を観ていると、これをゼロから創作できる人というのは、人間心理と文学の構成を深く理解でき、解釈できるなんだなということをひしひしと痛感させられます。うわべだけの理解ではこの奥深さが引き出せない…そこに一番尊敬を感じます。原作者デュマの表現を忠実に汲み取りながら、ダンスだからこそ実現できる描写を形に起こしています。

振付のときには、私は男にも女にもなることができる。私は心がわかるのです。

ジョン・ノイマイヤーはこう答えていて、それは大それたことではなく、とても彼らしい言葉だと感じます。

まさにすべての登場人物の心の動き、そして時代背景と、現代の人に向けてふさわしい演出手法をを理解し、舞台上に無駄はひとつもなく、すべてに意味がある状態で存在させることができるという点に本当に才能を感じます。

私は昔コンテンポラリーダンスの抽象寄りな作品に憧れたこともありましたが、大人になり年を重ねつつ、ドラマティックバレエの「エモーショナル」な要素にますます心惹かれるようになりました。

バレエ作品以外の文学ももっと知りたいですし、それらから醸成されていく自分自身の感性にも心を開いていきたいなと思います。