前の記事で、フランスの王妃カトリーヌ・ド・メディシスが最古のバレエを開催した記録が存在している(【王妃のバレエコミック》)という話を取り上げました。そのあと、バレエはどのように発展していったのか。今回はその後のフランス王でバレエを発展させるきっかけを導き、自らも踊ったルイ14世に焦点をあてて展開していきます。
太陽王ルイ14世
ルイ14世は太陽王との呼び名もあり、ブルボン朝の最盛期を実力派の宰相を右腕につけ治めた王です。豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿を立てたことも有名ですね。
実際にバレエを踊っていた王というのは、珍しいことと思います。バレエを鑑賞することはあっても自分が踊るかどうかというのは別問題であることがほとんどですよね。
自分自身も(特に男性が)踊りたいくらいに好きだったからこそ、バレエに資金を投資することができただろうとも思われます。
歴代の王 ヴァロワ朝断絶、ブルボン朝へ
いきなりルイ14世(1638年生まれ)といっても、カトリーヌ・ド・メディシス(王妃のバレエコミックは1581年)から急に飛んでわからなくなってしまうかもしれませんので、歴代国王について触れておきます。
カトリーヌ・ド・メディシスは、ヴァロア朝アンリ2世の妃でした。アンリ2世が逝去し、その後アンリ2世とカトリーヌの息子たち(フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世)が王位を継承しましたが、やがてヴァロワ朝は断絶します。
次に実権をつかんだのが、アンリ4世で、ブルボン家が王位の座につきます。ブルボン家の紋章は見るからに豪華絢爛です。
アンリ4世の死後、ルイ13世が即位。この時代の王たちは暗殺されることも多く、平穏な時代ではなかったようです。
のち、ここで主役のルイ14世(ルイ13世の長子)が即位します。1643年のことです。
その間の王たちがバレエをどの程度やっていたのかについてはあまり詳しいことがわかりませんが、少なくともルイ14世が幼い時から舞踊教師が存在していたので、宮廷での舞踊という文化が生き残っていたはずです。
4歳で王になり、バレエを子供のうちから習う
さて、ルイ14世は、どんな人だったのか?
父ルイ13世が逝去したとき、ルイ14世はたった4歳でした。それでも、世襲制でしたので、王位を継承することになりました。
幼い時に父親と死別してしまうのは気の毒ですが、王太子の運命は決まっていました。
4歳ですので、政治にまつわる実際の仕事はまだできませんので、周りの宰相ジュール・マザランらが絶対王政の治世を整えていきました。それもあって、ルイ14世はバレエなどに熱中できたのではないかという見方もあるようです。即位を祝うときにもバレエが催されたようです。
その後もルイ14世はバレエにのめり込んでいき、15歳(14歳という説も)から本格的に舞台《夜のバレエ 》曙の役でデビューし、最古のバレエ学校の発端となる王立舞踊アカデミーを創立させました。
ルイ14世によるバレエ発展への功績
1669年には、ルイ14世による勅許状によってオペラ・アカデミーが創設され、後世のパリ・オペラ座が生まれていく由来となります。これが、バレエの歴史として重要視されているポイントです。
王がバレエを踊ることで、周りの貴族も合わせてバレエを嗜むことが貴族に求められる教養の一つとなっていきました。ただ、オペラ座で踊ることができるのは、当時男性のみに限られていたようです。
やがて、王や貴族が踊れないくらいにバレエは発展していきます。
1670年にルイ14世本人は舞台を引退するも、バレエの文化は人々に浸透していき、職業的な踊り手が生まれていくようになります。
当時のバレエの姿
この時代のバレエは、現在のような姿とは異なり、オペラなどの歌劇要素も混ざった見世物です。
バレエの5つの足のポジションが出来上がったのも、この時代だと言われ、ピエール・ボーシャンという教師で、王にも指導していた人が定めました。
フランスはルイ14世の治世でブルボン朝の最盛期を迎えていました。
政権を固め、バレエにはさらに極めて華々しく高尚な魅力を持たせて、芸術として花開かせたとみられています。
一国の王様が個人の趣味を超えて、国の芸術として力を注いでいたからこそ、単なる宮廷バレエにとどまらずバレエは世界に発展していく礎を築いたのです。
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