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#1 バレエの起源はイタリア、のちフランスへ。〜最古のバレエ「王妃のバレエコミック」カトリーヌ・ド・メディシス (バレエと世界史1)

バレエの起源は、イタリアの宮廷舞踊にあるというのがよく言われる通説になっています。今の時代にバレエで有名な国と言ったら、ロシア、フランス、イギリス、アメリカなども思い浮かびやすいので、起源がイタリアというのは意外に思う方もおられるかもしれません。

今の時点で、もっとも古いバレエの記録は、この絵に描かれた1581年に開催された《王妃のバレエコミック》です。

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Representation of a Ballet before Henri III. and his Court, in the Gallery of the Louvre. Re-engraving from an original on Copper in theBallet comique de la Royne by Balthazar de Beaujoyeulx (Paris: Ballard,1582)

上演については以下を引用します。

『王妃のバレエコミック』=カトリーヌ・ド・メディシスのお抱えバレエ教師バルタザール・ル・ド・ボージョワイユーの演出振付により。完全な記録が残っている最古のバレエとされる。

アイヴァ・ゲスト、(鈴木晶訳)『パリ・オペラ座バレエ』p9より

このときにすでに、王妃にバレエ教師が存在していたということになります。

王妃とは、フランスの国王アンリ2世の妃カトリーヌ・ド・メディシスです。

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カトリーヌ・ド・メディシス

カトリーヌはフランスの王妃になった人ですが、元はイタリア人で、フィレンツェの大富豪の家に生まれ、結婚してフランスに移り住みました。

記録として残っているのはこのバレエが最古と見られており、宮廷舞踊としてはイタリアから生まれたものと考えられています。

王侯貴族が宮廷でバレエの起源になる舞踏会の文化は、イタリア、フランスで出来上がっていき、後にロシアの皇帝もヨーロッパの文化を取り入れようと取り入れていくことになります。このようにして、バレエが国際的に広まっていきました。

それでは、カトリーヌ・ド・メディシスの生まれた一族、イタリア・フィレンツェのメディチ家はどんな家なのでしょうか。

メディチ家は、芸術家と科学者の文化を花開かせる資金源を提供していた大富豪の一族です。

なぜ富豪であったか?

メディチ家は主に毛織物工業と金融業で財を成しました。コジモ=デ=メディチが基礎を築き、孫のロレンツォ=メディチが黄金時代を成し遂げました。代々芸術文化の理解が受け継がれて、イタリア=ルネサンスの繁栄を支えた重要な一家です。

例えば《ヴィーナスの誕生》で有名なボッティチェリも、メディチ家が保護していた芸術家の一人です。

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ヴィーナスの誕生

そんなメディチ家に生まれた、カトリーヌ・ド・メディシス(フランスの呼び名)がフランスの国王と結婚したのは、それだけ大富豪のメディチ家であったにも関わらず、不幸にも両親を子供時代に亡くしてしまい、教皇クレメンス7世が縁をとりもったようです。

フランスのヴァロワ朝アンリ2世と結婚し、子宝に恵まれましたが夫が急死してしまいます。その後政治的にも波乱へと苦労した王妃でしたが、芸術活動はメディチ家のDNAを受け継ぎ、熱心であったようです。

記録が残っている最古のものが《王妃のバレエコミック》ということになるので、少なくとも1581年(16世紀)にはバレエコミックなるものが存在していました。

ただ、今の時代のようなバレエとは大きく異なり、ダンス・音楽・詩などの混成的な見世物でした。

バレエはその後もオペラと組み合わせて上演される時代が続き、単独でバレエが上演されるようになるのはもっと後になります。

今年(2019)から計算すると、なんと438年前のこと。日本では、織田信長が天下統一にむけて実権を握っていた時代です。そんな時代からバレエという言葉ができていたのですね。

カトリーヌ・ド・メディシスの《王妃のバレエ・コミック》については、#4 でも詳しく取り上げます。

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