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「ジゼル」ができるまで〜精霊のバレリーナ

バレエ「ジゼル」は1841年に初演されたロマンティック・バレエの最高傑作とも言われるバレエ作品です。

現代でも世界中のバレエ団がジゼルという作品をレパートリーにもち、たくさんの振付家が独自に改訂し続けて上演し続けるほど、クラシックの中のクラシックという作品です。

また、ロシアバレエのマリウス・プティパらが活躍した黄金期(18世紀後半〜)よりも古いバレエです。世界に知られた全幕バレエでこれほど古い時代の作品がいまだに踊られているのは、リーズの結婚(1789年)、ラ・シルフィード(1832年)などに続き貴重です。

そこで、ジゼルのバレエ作品ができるまでの歴史をたどってみましょう。

ジゼル誕生の着想は「ラ・シルフィード」にあった

ジゼルのバレエが誕生する経緯には、「ラ・シルフィード」の誕生と成功が大きなきっかけになっています。

それまでのバレエと違い、空想の世界の空気の精を女性バレリーナに仕立て上げ、なにもかも真っ白だと観客が感じるほど幻想的なバレエ・ブランという領域を生み出したエポックメイキングなバレエでした。

それまでは妖精や超自然のようなテーマをバレエに扱うことは少なく、王様や貴族の世界や、貴族が好むようなおとぎ話などから誕生しやすかったバレエの世界において、イメージががらりと変わりました。

ラ・シルフィードでは空気の精でしたが、ジゼルでは「踊りの精」「精霊」として発展させています。

Giselle -Carlotta Grisi -1841

森で踊る精霊というキャラクターはヨーロッパで古くから伝わる伝説に基づくもので、19世紀の当時の流行であったロマン主義的な「超自然」「地方色」「空想」といった主題にぴったりのストーリーでもありました。

ジゼルの人物相関図

ジゼルの発想は作家テオフィル・ゴーティエ

ジゼルの発想をした最初の人物は、テオフィル・ゴーティエ Pierre Jules Théophile Gautier(1811年8月30日 - 1872年10月23日)というフランス人作家でした。

Photography of Théophile Gautier by Félix Nadar.

ロマン主義のE.T.Aホフマン(後世にくるみ割り人形やコッペリアの原作となった本などを書いた人物)に影響を受けて、「芸術のための芸術」 (Art for Art's Sake)という主張で、芸術至上主義寄りの立場にいた人でもありました。

芸術それ自身の価値は、「真の」芸術である限りにおいて、いかなる教訓的・道徳的・実用的な機能とも切り離されたものであることを表明している。

芸術のための芸術 - Wikipedia

芸術に対する独自の思想を持っていたゴーティエですが、バレエにも関心を持っていたようです。

そこで、パリで初演された「ラ・シルフィード」の公演を見に行っており、マリー・タリオーニの踊るシルフィードで「ジゼル」の元となるインスピレーションが湧いてきたと言います。

台本の起案を作り、ヴェルノワイ・ド・サン=ジョルジュと脚本を完成させ、バレエ化することになりました。

精霊伝説

日本人にはあまり馴染みのない「森の若い女性の精霊」の伝説とは、どんなものなのかをひもといてみましょう。

台本を書いた作家のゴーティエが参考にしたのは、ハインリヒ・ハイネが1835〜36年に書いたドイツにまつわる見聞録のような文章で、中でも「精霊物語」というものです。

ハイネも有名な作家・詩人ですが、実はジゼルの大元となった「ウィリー」「精霊」についての説明を書いていた人なのです。ゴーティエとハイネはかねてより交流がありました。

現代にも本がありますので読むことができます。

流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫 赤 418-6)

この本については過去記事でも紹介したことがありますが、ここでも紹介します。

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ハイネは、ドイツで古くから民衆が信じていた伝説・妖精・魔法などを「精霊物語」として説明しました。ファンタジーではなく、たんたんと実際の民間信仰を説明している文章です。 そのなかで、ジゼルの原作になったとされる「ヴィリス」という踊り子たちの幽霊が紹介されています。

ジゼルの不思議な役柄「ウィリー」を原作『精霊物語』から読み解く - バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

精霊のことをウィリー、ヴィリー、ヴィリスなどと呼ばれます。

いったいどんな存在なのでしょうか?一言でいうと、「結婚する前に亡くなってしまった花嫁で、悲しい若い女性の亡霊」です。

森の中で花嫁姿の美しい格好で、月光を浴びながら踊り、そこに若い男が出くわすと、命絶えるまで踊らせ続けてしまう…という不気味で怖い存在でもあります。美しい女性なのに若い男性の命を奪ってしまうというところがミステリアスです。

もう少し詳しく読んでみましょう。

オーストリアのある地方には、起源的にはスラブ系だが今のべた伝説*1とある種の類似点をもった伝説がある。 それは、その地方で「ヴィリス」という名で知られている踊り子たちの幽霊伝説である。ヴィリスは結婚式をあげる前に死んだ花嫁たちである。 このかわいそうな若い女たちは墓のなかでじっと眠っていることができない。彼女たちの死せる心のなかに、死せる足に、生前自分で十分満足させることができなかったあのダンスのたのしみが今なお生きつづけている。 そして夜なかに地上にあがってきて、大通りに群れなして集まる。そんなところへでくわした若い男はあわれだ。彼はヴィリスたちと踊らなければならない。彼女らはその若い男に放縦(ほうじょう)*2な凶暴さでだきつく。そして彼は休むひまもあらばこそ、彼女らと踊りに踊りぬいてしまいには死んでしまう。婚礼の晴れ着にかざられて、頭には花の美しい冠とひらひらなびくリボンをつけて、指にはきらきらかがやく指輪をはめて、ヴィリスたちはエルフェ*3とおなじように月光をあびて踊る。彼女らの顔は雪のようにまっ白であるが、若々しくて美しい。そしてぞっとするように明るい声で笑い、冒涜*4的なまでに愛くるしい。そして神秘的な淫蕩(いんとう)*5さで、幸せを約束するようにうなずきかけてくる。この死せる酒神の巫女たちにさからうことはできない。 人生の花咲くさなかに死んでいく花嫁たちをみた民衆は、青春と美がこんなに突然暗い破滅の手におちることに納得できなかった。それで、花嫁は手に入れるべくして入れられなかった喜びを、死んでからもさがしもとめるのだという信仰がうまれたのである。(岩波文庫 32-418-6 『流刑の神々・精霊物語』ハインリヒ・ハイネ著 小沢俊夫訳 p24〜25)

ジゼルの不思議な役柄「ウィリー」を原作『精霊物語』から読み解く - バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

なぜ若い男性を殺してしまうほどに踊らせてしまうのかというと、花嫁が悲しい死をとげてしまったときに、悲しい運命に同情した人々がそのように想像することで納得できない運命を信仰に変えてしまったのだというふうに読み取れますね。

ジゼルのあらすじはこの流れをバレエに持ち込んでおり、もともとの精霊物語の伝説を知らなかれば、「なぜジゼルは亡くなって幽霊になったあと若い男性たちの命を襲うウィリーになってしまったのだろう?(実際は恋人の命を助けてあげるのですが)」と疑問が湧きます。それは、ウィリーという伝説のキャラクター自体がそういった性格なのです。

ジゼルの代名詞のバレリーナ カルロッタ・グリジ

ジゼルをバレエ化するにあたって、ゴーティエはもともと大ファンであったカルロッタ・グリジ(1819〜1899年)に踊らせたいと思っていました。パリ・オペラ座のバレリーナで、ジゼルを初演してからはしばらく主演の座を守っていたバレリーナです。

ジゼルといえばカルロッタ・グリジと言われるほど不動の人気を博しました。キャリアの後半ではロシアのプティパの下にも行ったプリマバレリーナです。

「ラ・シルフィード」主演で有名になった、マリー・タリオーニと「パ・ド・カトル」で共演もしています。当時のロマンティック・バレエ時代に有名になったバレリーナ同士を共演させた4人のバレエ作品で、この時代の代表作の一つです。

1845年頃、タリオーニら「パ・ド・カトル」https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%2590%25E3%2583%25AC%25E3%2582%25A8

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グリジのパートナーであったジュール・ペローが非公式に振付をしていたとみられる

カルロッタ・グリジという人気バレリーナには、結婚していない内縁のパートナーがいました。振付家のジュール・ペローです。

これまでのブログで聞いたことがあると思った方は、鋭い!マリウス・プティパがロシア帝室バレエに雇われたときの最初の首席バレエマスター(上司)であった人です。(プティパが振付をしたかったけれどもなかなか振付の仕事を回してもらえなかったのだとか…)

1847年 ロシアのサンクト・ペテルブルクで帝室劇場に移る。ロシアの下積み時代が始まる。23歳、フランスで初演されていた「パキータ」の主演と振り移しロシア初演の初仕事を皮切りに活躍を広げていく。 1848年 フランス人振付家ジュール・ペローがロシア帝室バレエの主席バレエマスターに就任。プティパは振付のチャンスが与えられず葛藤。

バレエ古典を60以上作った「プティパ」バレエマスターの人生と功績(作品一覧) - バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

ジュール・ペローはフランス人でサーカスの一座からバレエに転向し振付家として活躍した人物です。1834年にカルロッタ・グリジと出会い、子供も生まれました。

グリジに主役抜擢の話が持ち上がる頃、当時のパリ・オペラ座の振付家ジャン・コラリ・ペラチニが専属バレエマスターになっていました。

でも、ジゼルにおいてはジュール・ペローが一部のソロヴァリエーションを振付したらしいのですが、公式にはジュール・ペローの名前が載っていませんでした。

ジュール・ペローはパリ・オペラ座の元主役ダンサーで有名でした。ただ、振付家としては契約できていなかった状況でした。

歴史家の推論では、のちに契約できるとそそのかされて、内縁の妻のカルロッタ・グリジ主演ともあり、関与していたのではないかという説もあるようです。(ジゼルという名のバレエ (クラシックス・オン・ダンス)

ジゼルは初演から人気に

ジゼルが初演されると、人気レパートリーとなり、カルロッタ・グリジは数年踊り続けました。ラ・シルフィードで始まったロマンティック・バレエブームにのって、ハーネスをつけたっバレリーナが空中を舞いました。

ジゼルは1849年までパリ・オペラ座のレパートリーでしたが、徐々にパリでのバレエが停滞(衰退期)に入っていきます。その背景には普仏戦争(1870年〜1871年)が起こり、フランスが負けてプロイセンが勝利し、ドイツ帝国が誕生することによりフランスでは国力が低下します。パリ・オペラ座での「ジゼル」上演が途絶えたあと、幻の作品となっていきますが、1848年にペローとマリウス・プティパがロシアにジゼルを持ち込み、1884年には完成度の高いプティパ版で人々に浸透させ、消滅から救ったという功績をもたらしています。現代に残っている第1幕のヴァリエーションはプティパ版に基づくと言われます。ハーネスの使用をやめて、音楽の構成も整えました。1903年にはアンナ・パヴロワが主役を踊っています。

File:AnnaPavlovaAsGiselle.jpg - Wikimedia Commons

アンナ・パヴロワについて

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パリでは、バレエ・リュスで1910年にジゼルが上演されるも、時代の流れでモダンな作品群と比べて古臭い印象を与えてしまいます。ジゼルの作品はそこからイギリスや海外で発展していき、トレンドが何周も回って現代ではバレエの王道となりました。

古い全幕作品だからこそ、歴史上のいろいろな人物が関わってきたエピソードのあるバレエですね。

ジゼルという作品にふれるとき、こうしたストーリーからもバレエ愛が深まっていきましたら幸いです。