カルロッタ・グリジは「ジゼル」初演で有名になった、ロマンティック・バレエ時代のバレリーナの一人です。
当時の人気バレリーナ4人を共演させた「パ・ド・カトル」というバレエ作品になった一人でもあります。
カルロッタ・グリジの人生と、パートナーであった振付家ジュール・ペローとのエピソードもまじえてみてみましょう。
カルロッタ・グリジ(1819〜1899年)Carlotta Grisi
File:Carlotta Grisi (NYPL b12149203-5239634).jpg - Wikimedia Commons
1819年 イタリア人の有名な芸能一家の娘として、イストリア(現クロアチア)で生まれる。
1829年 イタリアのミラノ・スカラ座バレエ学校のコールドバレエに合格する
1834年 ナポリのサン・カルロ劇場(バレエ団)に入団
フランス人振付家ジュール・ペローと出会い、ペアを組むようになる。「マダム・ペロー」と呼ばれるようになる。
子供が生まれるも結婚はしなかった
1840年 コメディ・オペラ・バレエの「ジンガロ」にペローと共演し、歌でも高く評価された
パリ・オペラ座に入団
1841年 「ジゼル」主役初演
1843年 ゴーティエ(ジゼルの台本を書いた人物)が「ラ・ペリ」の台本も書きバレエ化。ジャン・コラーリ振付。マリウス・プティパの兄リュシアン・プティパと踊った
ゴーティエの批評「エルスラーとタリオーニに肩を並べた」と評価した
1844年 「エスメラルダ」ジュール・ペロー振付版を踊る
1845年 「パ・ド・カトル」ロンドンで初演
1850年 ロシアのサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場でプリマバレリーナになる
1851年 ペロー振付によるグリジのためのバレエ「ナイアードと漁師」「女たちの戦争」「ガゼルダ」
1853年 ワルシャワで最後の舞台 引退
ジュール・ペローとは別れ、ジュネーブで暮らす
1899年 ジュネーブで亡くなる
マダム・ペローと呼ばれた
バレエダンサー・振付家であったジュール・ペローとは内縁の妻で子供もいました。そこで、ジゼルの初演で振付に関わり、おかげでカルロッタ・グリジはジゼルで成功したともいえるほどでした。
二人は振付家とバレリーナという関係でさまざまな作品に関わっています。
しかし、残念ながらジュール・ペローとは別れてしまい、ペローは別の女性と結婚してしまいました。
そんな結末はあっても、カルロッタ・グリジが名バレリーナになったのは、ジュール・ペローの影響が大きかったはずと見られています。
カルロッタ・グリジは生涯を通じて、パリを中心にヨーロッパの人気バレリーナになっただけでなく、ロシアのプティパのもとでもプリマバレリーナになり、名声を確立しました。
当時の人気バレリーナ4人を共演させた「パ・ド・カトル」を創作してカルロッタ・グリジに参加させているのも、ジュール・ペローです。
ジュール・ペローについて