生徒さんから「ふだんの教室の先生にいつも直されていることができるようにならなくて、なんだか落ち込んでいました」とお話を聞きました。
みなさんもそういったときがあるでしょうか?
どうやら、その教室では殺伐としていて、ギスギスした空気になっているというご様子です。
私自身もよく他の生徒さんからもお聞きすることですし、バレエ界には残念ながらよくある状況なので、実際に見てはいなくてもなんとなく察しはつきます。
もしも先生が的確な注意をしているのならば、そしてそれを理解しているのに体が実現できていないということなのでしたら、たしかにレッスンで思うように結果が出ていないのかもしれません。
毎回同じ注意をされてしまい、困ってしまうこともあるでしょう。
一方で、個人レッスンをしていますと「あ、絵理先生がそう言っていることは、もしかしたらいつもの先生も同じことをいっているのかもしれません!」と言われることもあります。
私がアドバイスさせていただいた内容から気づくのはなぜか?というと、その本質的な理解をしたことで、ふだんのご自身の振る舞いを振り返ることができ、ふだんの教室での注意の意味がわかったからなのだと思います。
これは私のアドバイスに限らず、逆にいつもの先生のアドバイスから照らし合わせることもあり得ますし、人間というのは不思議なもので、言葉の言い回しをかえて説明を受けたり、自分の中での理解がおぼつかないところでそれを補う注意をえられたときに急にひらめくこともあります。
そう言った意味では、一人の先生に習い続けるというのは、メリットもデメリットもあるのです。複数の先生でも違う面でメリット・デメリットがあります。
でも決して、ここでは、どちらが良いとか悪いとかという話がしたいのではありません。
成長を感じられない時に、継続するやる気がそがれてしまうのを、どうやってモチベーションアップをはかっていくか?ということが何より大事なことだと思います。
成長を感じるときというのは、人間はわかりやすい指標を求めがちです。
バレエで言うならば、人と比べやすいために、こういったものを目指してしまいがちです。
- トウシューズで踊れる
- ヴァリエーションができる
- パドドゥができる
- 回転が何回転できる
- 脚が〇〇度に開く
こういった指標は、自分にも他人も達成か未達かが判定しやすいために、なんとなくそこに依存しがちになってしまいます。
「また今日も回れなかった」
「またできなかった」
そういった想念が自分の中に蓄積していくと、ストレスばかりがたまります。
大好きなバレエをやっているのに、なんでストレスがたまってしまうんだろう!?
もっとモヤモヤして爆発してしまうかもしれませんね。
大人としてバレエを趣味として上達させながらストレスを溜めずに自己成長させていくには、内発的動機付けを自分自身で持つことが非常に大事だと思います。
心理学の用語ですが、外発的動機付けと内発的動機づけという2つの概念があります。
外発的動機付けとは、なにかの物事や仕事をやるときに、評価・見返り・賞罰・強制力などの要因から行動を起こすものです。
例えば、ストレスが特にかかっているようなケースで言うと、お金のために嫌な仕事でも無理をして行うとか、怖い先生で厳しい授業だけれど出ないと単位がもらえないからおびえながらも行くというような状況です。
一方で、内発的動機付けとは、評価や賞罰などの自分の外的な要因とは関係なく、「やりたいから率先してやる!!」という状態です。
例えば、自分が心から好きなことだから、人に何を言われようと言われなかろうとやってしまう状態、あるいは特に得をするわけではないけれど、この人のためならやってあげたいから助けてあげたい、というときなどです。
バレエとは本来内発的動機付けから「バレエ教室入ろう」と思ってスタートしていると思います。
あれ、その初心がどこかにいってしまったのかな?と迷子になってしまうと、よりどころがなくなってしまうかもしれません。
でも、忘れないでください。みなさんは変化しています。
バレエ教室を始めた頃よりも、経験が深まっています。
バレエで出会った人も数名〜数十名いることでしょう。
バレエというものへの理解も、個人差や環境の差はあれど、日々深まっているはずです。
始めたときには内発的な動機付けができていたとしても、自分の変化にあわせて、それまでのレベルでは足りなくなってきてしまうのです。
例えば、前は踊れたらとにかくハッピーだったものが、自分の目標が高まったことで、成果を自己観察するようになり、それまでのレベルでは満たされなくなっているのかもしれません。
では、高次元なことを考えて踊っていかないといけないのでしょうか?
それが性格にあうのならばそれでもいいと思いますが、私自身は「好きという気持ちを思い出す、人と共有する」ということが強大であると思っています。
それが実現できるように私のレッスンは場作りを意識しています。
怖い指導で怯えさせながら強制力を持たせるのは、一時的にレベルを高めるには有効ですが、諸刃の刃だと思います。
その理由は二つで、ひとつは本質的な指導力が低下してしまいかねないこと。脅迫観念を受け付けることは両者に思考停止状態をもたらしかねません。
もうひとつは、生徒側が精神衛生状態を崩しやすくなり、自分自身で考える力が発揮できず、指導者の顔色ばかり気にしてしまいかねないということです。精神衛生を崩すとは、つまり「バレエをやっていてもうれしくない。幸せな感情にならない。自暴自棄になってしまう」ような状態です。これでは、なんのためにバレエをやっているのかわかりません。
バレエ教室に限らず、厳しい体育会系の部活や学校の現場などでも場所によっては起こり得ることです。
私は今の時代教育現場でも合理的で科学的な手法をどんどん取り入れられていく時代なのですから(アクティブ・ラーニングなど)、大人の趣味で行うバレエ教室なのでしたら特に同じくリベラルで平等な立場からコミュニケーションを深めていくべきと思っています。それは、すべての教室がそうあるべきとまでは言いません。考え方は個々人の自由なのですから、自分が自由であるためには他人にも自由を認めるのが筋です。生徒のみなさんご自身も自分はどういう考え方やスタンスでバレエに向き合いたいかをぜひ考えてみてください。
そのときに、内発的動機付けになることを考えてみることです。
そして、自分がいま置かれている環境と、自分自身の考え方が違うのならば、アクションは2つです。
その場に居続けるのならば、その環境に折り合いをつける覚悟をもつこと。それを選択していることも自分の責任なのです。
あるいは、別の環境をもってみること。完全に移行できないとしても、違う環境の空気に触れて、自分はどうしたいか?をもう一度考えてみること。いつもの環境と抵抗しなければならないことがあるのなら、埋もれない覚悟をもつこと。
これはバレエに限らず職場環境でも学校でもなんでも言えることですよね。なかなか環境を変えられない人の方が通例は多いと思います。
そうであるのならば、自分の心の中にひとつ炎をつけておきましょう。外的にどんな影響があっても消えない炎をつけておくのです。そして心の中にあなたにとって大切な情熱の花を秘めておきましょう!
私のレッスンはオープンですので掛け持ちして来てくださっている方もたくさんいらっしゃいます。そんなみなさんのことを心から応援しています。
つねづね感じているのは、今はバレエが国際化した21世紀を生きているのだということです。
国際化したということは、多様性が切っても切り離せません。
ある特定の人種や国籍の人、肌の色や髪の色が優遇されるのではなく、「バレエという文化を楽しみたい・愛しているという気持ちを国境を超えて分かち合う」ことなのだと私は信じています。長い時代にわたってバレエは見た目の条件でふるいわけされる環境を持ってきました。それは今も消えることない事実です。
でも、もう政治的イデオロギーや見栄のため、容姿コンテストのために踊る時代ではなくなっていることが世界中のバレエ団の様子を見ながら感じています。ささいなことで気を取られていては、バレエ界以外の一般の人からもバレエというコンテンツの価値を見放されてしまいます。
プロになるならばさておき、バレエを趣味で楽しむことにおいて、そこまでの統制や偏見は必要なのでしょうか。
それよりも、人生が豊かになったり、自分とは違う素敵な人生を生きている人との交流がバレエを通して実現されるということに、どこまでもリアルで世界観が広がる夢を生きられるのではないかと思いながら日々私一人からもできることをさがし、実行しています。