- シルフィードとジェームスの恋物語
- バレエにしては大がかりなワイヤー演出
- チュチュから羽根が抜け落ちる演出
- スコットランドの「キルト」タータン・チェック
- 演出の違いを楽しむ ブアノンヴィル版・ラコット版
バレエのイメージといえば様々なキャラクターがいますが、特に「ふわりと浮かぶ美しい妖精」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
妖精をモチーフにした歴史古いバレエ作品の代表作が「ラ・シルフィード」La Sylphide です。
“シルフィード”とは空気の精の女の子のことで、トウシューズで重力を感じさせずにふわりと舞い踊る姿が印象的です。
ケルト・ゲルマン地方の古い伝説に由来を持ち、森の奥深くに住む可憐な妖精で、ときにはいたずら好きであったり、小悪魔的とも言われたりします。
そんなシルフィードを恋愛物語にバレエ化した「ラ・シルフィード」の見どころをご紹介します。
19世紀ラ・シルフィード役で人気を博したマリー・タリオーニ。「シルフィード風」の装いが街で流行していたと言われる。
シルフィードとジェームスの恋物語
ラ・シルフィード 人物相関図
第1幕
舞台はスコットランドの農村。主人公は空気の精シルフィードと青年ジェームスの恋愛がストーリーになっています。
魔女マッジが若者たちの手相占いをしている場面
農夫で若き青年のジェームスは、婚約者エフィとの結婚式の準備をしています。エフィとはいとこの関係であり許嫁(いいなずけ)なのでした。
ぐっすり眠りに落ちていたジェームスの目の前に、そっと空気の精シルフィードがやってきます。羽根がついてふわふわと空中を移動しながら、とても美しい姿です。シルフィードはジェームスにうっとりして、うれしくてそわそわ舞い上がり、目を覚ましたジェームスはシルフィードに一目惚れ。
でも、ふと我にかえるとシルフィードは姿を消していました。どうやらジェームスにしかシルフィードが見えないのです。友人の青年ガーンも近くで寝ていましたが、シルフィードよりも実はエフィに片思いしていて、夢の中でエフィのことばかり考えていました。
いざ婚礼が迫り、エフィと結婚式の準備に入ります。そこへまたシルフィードがやってきて、ジェームスはシルフィードを追いかけたくて仕方ありません。残念ながら、エフィにはシルフィードが見えないのです。
気もそぞろになってしまったジェームスは行動がおかしくなっていきます。エフィに恋するガーンは、ジェームスがシルフィードに恋しているのを目撃。正体を明かせと言いますが、シルフィードはうまく姿を消して、みんなに見つからないようにしながらジェームスを誘っていくのです。
そんな中、物語の鍵を握る謎の魔女マッジがしのびこんできます。ジェームスが追い払ったはずなのに、勝手に上がり込んできたマッジは、若者たちの手相占いを始めます。みんなは興味津々。そこでマッジは「ジェームスがエフィを愛していない」ことを言い渡し、エフィは驚き、ジェームスは怒って動揺します。マッジは、本当にエフィのことを愛しているのはガーンであることを見抜いてしまいます。
そんなドタバタに見舞われつつも、婚礼の客人が大勢やってきました。それなのに、ジェームスの心は上の空。するとシルフィードがジェームスの指輪を奪って森に消えてしまいます。思い詰めたジェームスは、シルフィードを追いかけてなんと結婚式から逃げてしまうのです。一人残されてしまったエフィは、ショックで泣き崩れてしまいます。
第2幕
森のしげみで魔女マッジが釜をグラグラ煮詰めています。ジェームスに追い払われた復讐に、魔法のスカーフにのろいをかけているのです。この呪いでシルフィードの命が奪われる恐ろしいスカーフです。
場面は変わってシルフィードたちの森の世界に。ジェームスはシルフィードたちと楽しく恋に落ちてたわむれます。そこに、ガーンがジェームスを捜しにきましたが、魔女マッジが「ジェームスはいなくなったのだから、片思いのエフィを誘って結婚すればいい」とそそのかします。
ガーンは帰っていき、マッジはジェームスのもとへ。
呪いのスカーフであることを隠して「これでシルフィードはお前のものになるよ」と言い差し出します。シルフィードを手に入れたいジェームスは大喜びで感謝して受け取ります。
シルフィードのもとへスカーフを持っていくジェームス。呪いとは知らないシルフィードはスカーフを気に入って、ジェームスがかけてあげると… シルフィードの容体が急変して、羽根がぽとりと落ちてしまいます。
ジェームスはこんなはずではないと驚きシルフィードを介抱しようとしますが、もう助かりません。指輪をジェームスに返しながら、どんどん具合が悪くなりシルフィードは死んでしまったのです。
あざ笑うようにやってきたマッジは、ジェームスをののしります。遠くではなんと婚約者であったはずのエフィがガーンと結婚式をしているではないですか!ジェームスは、理想の女性シルフィードも、許嫁のエフィも同時に失ってしまったのです。絶望に落ちたジェームスの目の前で、倒れたシルフィードは空の上へ消えていくのでした。
バレエにしては大がかりなワイヤー演出
空気の精というキャラクターを生かして、他のバレエにはないワイヤーアクションや奈落・リフトを多用した演出が楽しめます。あまりクラシックバレエの舞台では見たことがないという方も多いでしょう。
暖炉の煙突から空中に吊り上がって姿を消したり、舞台の人影からすっと姿を消したり、空へ高く飛んで行ったり。
空中に吊り上げるのは初演のころの舞台でも画期的に取り組まれていたそうで、現在のような舞台機構ではなかった当時としては、大スペクタクルであったことでしょう。
特に現在のパリ・オペラ座のラコット版では、まるで舞台の空間上にふわふわと浮くシルフィードたちを見ることができます。
チュチュから羽根が抜け落ちる演出
第2幕の呪いのスカーフをかけられた後、シルフィードが具合を崩しながらうろたえ、後ろを向いたときに羽根がぽろぽろと床に抜け落ちます。
手で触っていないのに衣装から自然に落ちるようになっているのがびっくりするポイントです。
これは羽根にひもがついており、背中を向いたあと紐を引っ張り羽根が落ちるような仕組みをしていて、特許のため上演するたびに使用料が発生するという裏話があります。
スコットランドの「キルト」タータン・チェック
民族衣装の「キルト」の装いが楽しめるのも、ラ・シルフィードならでは。ソックスにヒールのついた靴、ベレー帽には羽がついており、ペチコートのついた本格的なコーディネートは男女ともかわいいです。デンマーク・ロイヤル・バレエでは本格的な衣装の再現があり、パリ・オペラ座ではさらに現代的に洗練されたデザインで、どちらも目で楽しめます。男性の骨盤にかけている毛皮のポシェットは「スポーラン」といい、こちらもスコットランド調の伝統的な装身具です。タータン自体は色や柄が家ごとに違ったり、現在では英国王室や企業などによる登録も行われている格式高い柄でもあります。(タータンの歴史も面白いです!またのちのち紹介したいです。
)演出の違いを楽しむ ブアノンヴィル版・ラコット版
ラ・シルフィードはストーリーがわかりやすいので、バレエ鑑賞初心者でも楽しみやすい作品です。
実は19世紀に生まれたこのラ・シルフィードは、チャイコフスキーの3大バレエなどよりもずっと昔に誕生しました。
初演は現パリ・オペラ座で上演され、シルフィード役で大人気となったマリー・タリオーニというバレリーナの美しさで一大ブームが生まれます。彼女の父によるタリオーニ版という演出でした。でも残念ながら、タリオーニ版はのちのち上演されなくなり、消えてしまっていたのです。
でも、デンマークの演出家ブアノンヴィル(ブルノンヴィルという呼び名が多いですがデンマーク語に直すとブアノンヴィル)が独自に同じストーリーで音楽を変えて当時の「ラ・シルフィード」を製作し、この版は歴史的に受け継がれて今日に残っています。
ローザンヌ国際バレエコンクールなどで有名な「ジェームスの第1幕のヴァリエーション」はブアノンヴィル版の曲です。世界的に広まり愛されている演出版です。
ブアノンヴィル版のポイント
まずラコット版と音楽が違います。それはブアノンヴィルがパリで初演当時の本作に出会い、デンマークでも持ち込もうとしたところ、オペラ座から音楽の使用許可が下りなかったのです。音楽が使えないということは振り付けも全てまったく変えて、H.ローヴェンスキョルが作曲しました。物語の台本や展開のテンポはほぼ同じくらいです。同じお話で踊りも音楽もまったく違うというめずかしい現象が起こったのです。著作物の権利に対する扱いが19世紀でしたのでこのようになったのでしょうが、歴史を感じますね。このような作品はなかなか他にありません。
細かい足さばきの多い振り付けで、シルフィードとジェームスは実際に触れ合う時間が少なく設定されています。これには理由があり、空気の精なので「触れ合いたいけれど、すりぬけていく」という空気の精の存在を踊りでも表現しているのです。軽快なジャンプが男性にも女性にも多く、スピーディーでエネルギッシュな印象もあります。
また、スコットランドを舞台にしているのでタータン・チェックの民族衣装「キルト」や民族舞踊を多く取り入れています。一方で第2幕はトウシューズにロマンティックチュチュのコールドバレエが対比的に浮き上がり、全2幕構成のメリハリをもたせています。
シルフィードたちの踊りは、ラコット版(後述)と比べると、アームスがシンプルで、脚のステップが多い分、移動の軌道で空中に留まっているような印象を与えます。
台本の細かなところに忠実で、ラコット版(後述)と比べると、マイムが多く演劇的な要素が多いです。当時の台本は、こちらの本で読むことができます。
細かい人物描写や、なぜこの登場人物はこのような振る舞いをしたんだろう?という設定があらすじを読むと明確になったりします。(台本というのは細かくなるほど、演劇的な説明要素ができますが、バレエは踊りがメインなので、詳細にすればするほどいいともいえないので、ほどよいバランスとストーリー展開のテンポが大事になります。)ブアノンヴィル版は演劇性とバレエのバランスがうまくとれていて楽しみやすい作品になっています。
デンマーク・ロイヤル・バレエの映像は、初演のころの歴史的な雰囲気をたっぷり味わえるのでおすすめです。
参考
イングリッシュ・ナショナル・バレエのブアノンヴィル版の紹介動画が充実していたので引用しておきます。
ラコット版のポイント
ピエール・ラコット版は、パリ・オペラ座で消滅したと思われていたものの復刻版です。おおもとのパリ初演の歴史を受け継ぎながら、資料分析をもとに蘇らせています。
ブアノンヴィル版と比べると、物語をわかりやすく洗練されている印象もあります。ブアノンヴィル版にある演技シーンがラコット版にない、という事例がいくつかあるからです。例えば婚礼のお祝い品を渡すシーンなどは演技中心なのですが、ラコット版ではこのシーンはない、といったようにです。
ラコット版で特に見逃せない印象的なポイントは、ラコット版にしかない第1幕の結婚式の場面での、ジェームスとエフィとシルフィードが3人で踊るパドトロワです。
シルフィードはみんなに見えない姿でありながら、ジェームスと向き合って踊りますが、みんなからはエフィとジェームスの踊りに見えている、という影の踊りなのです。
この場面は婚礼の場面にも関わらず、照明効果による暗がりの中で、シルフィードとジェームスの影の心理描写をうまく表しています。(パドオンブル 影の踊り)
3人の踊りに構成しながら、気持ちのすれ違う三角関係を見事に描いている踊りです。1対1で向き合って踊れるわけではない分、一層ダンサーたちにも高度なパートナーリングが求められます。
演出の特徴として、演劇的なマイムよりも「舞い」を尊重したところに見どころがあります。シルフィードたちのコールドバレエは、ポールドブラの動きがゆったりと情感豊かで絵画のように洗練されています。あえてブアノンヴィル版と比較すれば、空気の漂う詩的な印象を覚えます。細かなドラマをおさえた分、幻想と現実世界との対比が鮮やかになります。
両方見ることで違いがよりわかるものですが、どちらかひとつでもロマンティック・バレエの世界を存分に味わうことができます。
あらすじをわかっていれば初見でもバレエを見やすくなると思います。
ぜひみなさんもご覧になってみてください。