「ラ・シルフィード」はロマンティック・バレエの代表作で、結末は悲しい愛の形をもつ作品です。
空気の精シルフィードは、恋の相手の青年ジェームスの目の前で死んでしまう運命。
このような「主人公の女の子が死んでしまい、恋人とのお別れをする」という流れはジゼルによく似ています。ジゼル(人間の女の子)が死んでしまい、精霊になって恋人アルブレヒトから消えていくという構図です。
というのもそれは必然なことで、先に誕生したのはラ・シルフィード。その流行により、ジゼルはその後に誕生し、ラ・シルフィードの系譜を受け継いだ悲恋のバレエになっているのです。
妖精の伝説では、シルフィードはいたずら好きだとか小悪魔的とも言われます。でも絵に描かれるシルフィードはまるで幻想的な理想の女性像のようで、あまりいたずら好きな幼い印象にはあまり見えない気がするのです。
「果たして性格はそれだけだったのか… ?」私は疑問に思い、気になっていました。
シルフィードが婚約者からジェームスを奪っただけでは略奪愛かのようですし、あっけなく(魔女マッジの策略のせいで)死に絶えてしまう?ジェームスもふくめて幼稚な印象で終わってしまわないだろうか?
シルフィードのキャラクター像の答えは、台本をじっくり読むとヒントがあります。
『十九世紀フランス・バレエの台本 パリ・オペラ座』にラ・シルフィードの19世紀初演当時の台本の筋書きがあります。現在上演されている一般的なあらすじよりも、細かい人物関係が設定されていたのです。
その中にシルフィードが死んでしまう場面でこうした台詞があります。
「婚約指輪をお返しします… 急いでね。私を知る前に愛していた人とまだ結婚できるわ… さようなら。私は満ち足りて死にます。あなたが幸せになるという希望を持っているから」
婚約指輪とは、ジェームスが本来結婚するはずであったエフィとの婚約指輪。それをシルフィードが奪って、二人の仲を遮り、ジェームスの気を引こうとしていたのでした。
でもシルフィードは呪いのスカーフによって自分の生命がもう終わることを知り、ジェームスに婚約者のエフィのもとへかえるように言っていたのです。
(邪魔しておいて今更ではないかというツッコミは置いておいて。)
でもエフィはひそかに片想いされていたガーン(ジェームスの友人)と早々と結婚を決めてしまうので、結末でジェームスは孤独に突き落とされてしまいます。
それでもシルフィードがジェームスの未来の幸せを願っていたのだとわかると、私は納得感が増します。
バレエ 団や演出によってそのあたりの解釈は違うこともあるでしょう。
単なる小悪魔のいたずらっ子だけではないと分かると、シルフィードの印象が少し変わりますし、叙情的な深みを感じさせます。
ロマンティック・バレエでは「主人公が悲恋となり相手の幸せを願う」という愛のあり方が(全てではないですが)散見され、さまざまな作品に影響しています。前述しているジゼル、椿姫、ラ・バヤデール、白鳥の湖などにも似ていますね。
台本は時代と共に簡略化されたり解釈を変えたりすることがよくあります。
長すぎるくだりをカットして舞踊の美しさに集中できるようになることもあれば、観客が飽きないようにする工夫も大切だからです。
それでもやはり、もともとの初演の台本や原作を読むことで、深く作品の背景が見えてくるので、さらに鑑賞が楽しくなります。
バレエは言葉のない、踊りのお芝居だからこそ、背景の人物設定は大事な意味をもたらします。