エスメラルダのバレエで、「エスメラルダってどんな女の子なのかな?」と気になりませんか。
バレエだけではわからないことが多いのですが、小説の巧みな人物描写には、実は感動的な人間ドラマが込められています。また、「エスメラルダ」のイメージが具体的に浮かぶようになります。
バレエと小説での登場人物の違い
バレエ「エスメラルダ」の印象と、小説「ノートル・ダム・ド・パリ」から受ける印象は演出の違いがあるため、少し異なります。
物語の構造はほぼ共通しているのですが、登場人物の細かい設定があることによって、物語の深みが増します。
バレエのあらすじから原作に触れる人にとっては「エスメラルダはこういうキャラクターだったのか!」「フロロはこういうおいたちがあったのか」など、バレエでは描かれない世界観まで発見できます。私もそうでした。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/La_Esmeralda_from_Victor_Hugo_and_His_Time.jpg
バレエの「エスメラルダ」では登場人物を厳選して上演されることが多いです。
主要の人物
エスメラルダ
副司教 クロード・フロロ
カジモド
王室射手隊隊長 フェビュス・ド・シャトーペール
フルール・ド・リス(フェビュスの婚約者)
作家ピエール・グランゴワール
物乞い集団のボス クロパン
このような人物が主要な構成になります。(演出によって多少異なります)
もともとの原作では、さらに登場人物がいます。
ジャン・フロロ クロード・フロロの弟
ギュデュール(おこもりさん) 赤ん坊の娘アニェスがジプシーにさらわれた過去をもつ修道女
年齢についても明記されていることがあります。クロードは36歳、カジモドは20歳、ジャンは16歳、エスメラルダも16歳ぐらいと見られます。
それぞれの人物同士の関係性も小説では具体的になり、そこからドラマが生まれていきます。
命を拾われたピエール・グランゴワール
バレエではピエール・グランゴワールは詩人とされたりしてあまり具体性は表現されないことが多いですが、ピエールは小説では劇作家です。街で行われていた道化祭の演劇を書いていましたが、面白くないと聴衆に飽きられ、失敗してしまったお金のない青年です。
そこに、宿なし集団で物乞いのボスのクロパンにピエールが捕まってしまいます。しかもなんと殺すというのです。絶体絶命でしたが、「ジプシー女の誰かがこいつを夫にしてもいいというなら見逃してやろう」と脅され、誰もいなかったところ…エスメラルダが名乗り出ます。4年の形式上夫婦になったのですが、エスメラルダには恋愛感情はありません。ピエールは美しいエスメラルダに恋心がないことを知るとガッカリでしたが、何より命を助けてくれたことに深く感謝します。
エスメラルダに恋をする3人の男
美しい踊り子のエスメラルダはとてもモテモテで、特に3人の男が恋に落ちます。
クロード・フロロ、カジモド、そしてエスメラルダのハートを射止めたフェビュス・シャトーペールです。
ひそかにエスメラルダに片思いをする副司教フロロは、聖職者であり許されない思いを我慢できずにいます。
そして気難しく老け込んだフロロは、恐ろしいことにカジモドに彼女を誘拐する命令をしてしまいます。
カジモドがエスメラルダを襲いにかかると、通りかかった射手隊隊長フェビュスがエスメラルダを助け、エスメラルダは彼に恋に落ちるのでした。
本当はフェビュスは婚約者フルール・ド・リスがいるのにも関わらず、エスメラルダの心を弄んでしまったのです。助けてくれた貴族というだけならかっこいいですが、不実なところがなんとも人間くさいキャラクターです。
これを知ったフロロは、フェビュスを殺そうと企てて、二人の密会中に忍び込み、フェビュスを刺して逃亡します。エスメラルダが濡れ衣を着せられ、逮捕されてしまいます。
明らかにクロード・フロロは恐ろしい犯罪者です。
でも、真面目な聖職者とみなから信じられているので、エスメラルダの夫ピエールさえもフロロの嘘に騙されてしまいます。余計にエスメラルダの命が危険になっていくというお話になっていきます。
そんなエスメラルダを黙ってみてはいられないカジモドは、逮捕されていた彼女を奪い取って大聖堂の中へ保護します。避難所で不可侵な領域であり、エスメラルダはここで命を伸ばすことができました。
カジモドは美しいエスメラルダに密かに恋心を寄せていたので当然のことでしたが、実は逆に自分もエスメラルダに助けられたことがありました。カジモドがエスメラルダを誘拐しようと逮捕されたとき、喉も乾き切って困憊していた自分に、エスメラルダが水を飲ませてくれたのです。孤独なカジモドにとって、そのご恩も忘れることがありませんでした。
なぜ残忍なクロード・フロロはカジモドを養子にしたのか
こうして全体から見るとクロード・フロロの残虐さが目に余ります。なぜこうした人物が捨て子のカジモドを保護して16年も育ててきたのか気になりませんか。
1467年の白衣の主日(カジモド 復活祭後の第一日曜日)の朝、ノートル=ダム大聖堂の捨て子用の板に小さな子どもが乗せられていたのを周りの女性たちが見つけました。「かわいらしくない」「まるでおばけみたい」などと酷い言われ方をされました。クロード・フロロはそっと預かって養子にしたのです。
クロード・フロロは小さな頃から聖職者につくよう真面目に育てられてきましたが、1466年ペスト流行によって父母を失いました。当時18歳くらいであったクロードには、まだ幼い弟ジャンがいたので、親代わりになって弟を育てていたところでした。その弟と、捨てられていたカジモドの姿が重なり、見過ごすことができなかったのです。もともとは人間らしい一面も持っていたのです。
拾った男の子をカジモドと名付け、14歳になると鐘突き男になります。でも大聖堂の鐘の音によってカジモドは聴力を失ってしまいました。耳が聞こえないことで、さらにハンデを背負っているのです。人々との交流がしにくくなり、さらに孤独になってしまいますが、カジモドにとって育ての親であるクロード・フロロは信頼を置いていた唯一の人物でした。クロードは年々気難しく考え事をしていることが増えて老け込み、人間に対しての愛情よりも学問に傾倒し、カジモドは従順な奴隷のような状態になっていました。
エスメラルダの生き別れた母の真実
そしてもう一人、バレエではなかなか描かれない人物がいます。それは、ギュデュール(おこもりさん)です。昔、彼女の子どもである赤ん坊の娘アニェスが、ジプシーに騙されて誘拐されてしまった悲しい過去をもっている修道女です。ロラン塔の小部屋で引きこもっており、ジプシーのことを恨み、エスメラルダのこともジプシーの娘だからとよく思っていません。
でも実はここからネタバレになりますが…
エスメラルダは親がおらず、ジプシーに育てられてきた女の子でした。彼女の親のことがわかるのは唯一、肌身離さず首に下げていたお守りのような靴でした。
エスメラルダは処刑が決まって大聖堂の外でもう一度捕まったらもう殺されてしまうという時に、ギュデュールのところに隠れて逃げ込みます。ギュデュールはジプシーとエスメラルダのことが嫌いだったので、追い払おうとします。
このとき、ギュデュールがお守りをもっていて、エスメラルダは自分の母親が目の前にいることを知るのです。
ギュデュールはずっと会えなかった誘拐された娘アニェスが見つかった上、いまにも処刑されそうになっていることになんとか助けてやりたいと願います。なんということでしょうか!天と地がひっくり返ったのです。
しかし、運命は悲しいもので、エスメラルダが引きづり出されようとするところを必死に抵抗していたギュデュールは、残念ながら転倒で亡くなってしまいます。我が子の命を守ろうとする母親の最後の抵抗が虚しくも届きませんでした。
ギュデュールの人生は、ジプシーたちに娘を誘拐されたことで大きく変わってしまいました。おこもりさんと呼ばれるほど悲しみと絶望感で生きていたギュデュールが、娘を15、6年越しに見つけることができ、神様の奇跡が起こったのです…
それなのに…娘の命を守ることができず、その前に自分も犠牲になってしまった…
このことはバレエに出てきませんが、読んでいて一番ショックなところでした。(悲しいというだけでなく、驚きと心の衝動も含めてのショックです)
この構成があることによって、エスメラルダの悲しいおいたちと、それに負けず生き抜いてきた強さをユゴーは読者に伝えているのです。
さすが、「レ・ミゼラブル」も書いた作家の真骨頂を感じられます。この事実を知ると、バレエではわからないエスメラルダという女性の真実を垣間見ることができるのです。
みなさんも一度は小説の抄訳版でもいいので読んでみていただくと、エスメラルダの人柄がぐっとよくわかると思います。また、周りの登場人物の構造も共感できたり、不可解な行動の真意を察することができるかもしれません。
ユゴーの小説の巧みさも、ロマン主義の代表的な小説としても、一読の価値ありです。