好きなことへの興味は、神様があなたに授けたギフト。
バレエと芸術が好きな人たちに囲まれて、私も情熱的になれることを生きていると、つくづくそう思います。
なんというか、古代ギリシアの彫刻になっていそうなハンサムであたたかくやさしいジェントルマンのような神様が(←妄想です笑)「この一回の人生の旅で、魂が喜ぶような、好きなことを楽しんで豊かな経験を積んでおいで…」と言ってくれているような気持ちにさえなります。
バレエをライフワークにしていると、実に多彩な職業のいろんな年代の女性が、バレエと出会った自分の人生についてお話ししてくださいます。みなさんのお話を聞いているだけで、本が書けそうなくらい。♡
バレエの経験も、体の条件も、ばらばらの女性たちが、みんなバレエというひとつの共通項をもって、そこをきっかけに人生を豊かに歩んでいる。しかもみんなバレエ以外の時間も幸せそう。
そんな姿を多くみていると、興味を持つということ自体が神様からのギフトなんだろうと気づかされるのです。
興味をもつタイミングは、3歳かもしれないし、55歳かもしれないし、70歳かもしれない。
でも、まちがいなく、自分の外ではなく、自分の内に興味が宿っているということなのです。
興味や感性というのは、知識の勉強などと違って、心に掻き立てられて行動するもので、身につけるようなことではありません。
楽しいと思えれば楽しい。
美しいと思えれば美しい。
だから、興味のまったくない人に興味をもたせようとすることは難しいことで、やはりその人の個性のひとつでもあるのですよね。
わたしたちは、天才肌の人を見ると「神様は才能を与えたんだな」というように感じることが多いですよね。
ピッカピカのダイヤモンドのように磨き上げられた芸術家の才能をみたら、もちろんだれだってそう信じてしまいそうになります。
でも、自分にはそんなもの無いなぁと思う前に、気づいてほしいことがあります。
そもそも才能が磨き上がる前の「好きだな」「憧れるな」「美しいな」という興味をあらゆる形でいろんなタイミングに授けてくれているのだということを。
それをどう受け止めるかは、自分次第。
「好きだから、もっとやってみようかな」と思える人は、好きなことと一生友達でいられます。
そういう意味では、同じものを見ても「美しい」と感じられるかどうかは受け手の感受性次第だともいえるのではないでしょうか。
人に対して短所より長所を見出してあげたいと思うのはだれでもあること。
アラがあってもそれは伸び代かもしれませんし、見た目で判断するのはとても表面的なこと。
本当に美しいものを美しいと感じられる瞳は自分で磨いておかねばとも思います。
ギエムがアクラム・カーンの作品「聖なる怪物たち」のなかで、「エマーヴェイユ : 本当に美しいものを美しいと感じられること」 が自分の人生にとって大事なのだと言っている台詞があり、深く共感しました。
みなさんにも神様のギフトがあるはず。バレエでも、バレエじゃなくても、自分や大切な人たちを幸せにさせてくれるギフトは、だれでもないあなたの中にあるはずです。