バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

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アートやバレエに対する検閲の例



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バレエやアート、文学などのあらゆる芸術分野において、国家の文化政策と検閲のバランスというのはその時代のアーティストたちに与えるインパクトが大きいなぁとしみじみ思います。

上の2枚のポスターは、クリムトが制作した1898年ウィーン分離派展の第1回ポスターです。とても似ていますが、上は検閲前のクリムトが本来表現したかった状態で、下は検閲により変更した後です。身体の表現を変更するために、全体の構図をさほど変えずに自然と修正しています。

ウィーン分離派は、当時のウィーンでの保守的な芸術家たちから距離を置いて、革新的な試みを図ろうとしていた芸術家集団であり、クリムトは自身が初代会長をつとめていました。

革新的なことをやろうとする団体の最初の展覧会なのですから、意気揚々としてポスターを制作したのでしょうが、最初から検閲チェックが入ってしまったのですね。

もしも、現代に掲示するポスターだったとしたら、今は果たして許可が通るのでしょうか?みなさんはどう思いますか?

バレエ作品でも検閲が行われていた時代があります。

ロシアで白鳥の湖のあらすじを悲劇にしようとしたところ、ハッピーエンドになるように検閲が入っていた事例もあります。それをボリショイバレエは今になって幻の版として蘇らせています。

ずっと厳しい状況だったのか?というと、ロシアだけでなくヨーロッパ各国とも一概には言えず、時代とともに近代化やナショナリズムを経て、啓蒙主義でゆるやかになることもあれば、政治がプロパガンダとして文化政策を用いる度合いを強めたり弱めたり変遷しながら現代に近づいていきます。

例えばロシアのロマノフ王朝女帝エカテリーナ2世は、女子のためのアカデミーを創立したり、私営出版社を許可して文学や出版の検閲をゆるやかにした時代をつくりました。


エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝) - Wikipedia

背景には、フランスのマリー・アントワネットを参考にして、当時近代化が遅れていたロシアの西欧化政策を進め、ヴォルテールらとの交流もあり、啓蒙主義を独自にロシア版として展開しようとしていたことにあります。

もちろん現代でも世論から倫理的でないとレッテルを張られれば、検閲という形ではなくとも大勢から批判を受けることもあります。

国家が検閲する時代から、徐々に個人の集合が受け入れられるかを直接判断する意思決定が強まっていると見るのか。それともデジタルツールや発信手段の発展により、個人もアートの発信者であるという見立てをするなら自由度が高まっているとも見ることができるのかもしれません。とはいえ、マスコミなどから情報形成のバイアスが無意識にかかっているとしたら、個人は自由だと思っている先入観が、そもそも違うかもしれません…いずれにしても多面的な見方を持っておくことは大切だろうと思います。

やはり作品というのは、受け手とのコミュニケーションが成立するかが問われるものですね。