20世紀後半のバレエを牽引した偉大な振付家モーリス・ベジャール。
ベジャールの名前をいつ知ったかは思い出せないほど、子どもの頃から知っていました。
私が生まれる前からの舞台写真を、幼稚園のころダンスマガジンで見ていたからです。(昔の雑誌は今のような情報社会ではなかったので、過去の厳選された情報が丁寧に扱われ、データが少ない分、写真一枚の資料的な価値も大きかったように思います。)
見るからに現代的なスタイルだなと子ども心にもすぐわかりました。
古典的なチュチュとピンクタイツのバレリーナ姿ではなく、変わった衣装のダンサーがクラシックを逸脱したポーズをしているからです。
そして、ベジャールの大作のひとつ「くるみ割り人形」の宣伝画像がふつうのくるみ割り人形ではないことも興味を持っていました。
ベジャール版のくるみ割り人形は物語の踏襲ではありません。ベジャールの子ども時代に若くして亡くなった母を慕う気持ちがふくらみ、神聖化した巨大彫像。それが舞台美術になっている写真をよく目にしました。
もちろん幼い頃は意味をよく分かっていませんでしたが、こういうのもバレエなんだということを早いうちに触れることができました。
ベジャールはひときわ哲学的で、愛があふれ、人間性が豊かに引き出されるバレエを創作し続けたことに尊敬します。
西洋思想も、東洋思想も、世界の文化の見識をもつベジャールの言葉は、深いのです。日本の精神にも深い理解を示しています。
言葉の独特の紡ぎ方に、ふと考えさせられます。
ある種、私的なベジャールの視点でもあることをわかっています。でも、惹きつけられるのです。
ベジャール自身も、バレエの世界全体を説明したいのではなく、ベジャール自身の存在から見える世界を映し出すことに価値を置いていたのだろうと(本人の語りから察するに)私は思います。
それは私も芸術において共感するところです。
芸術は説明するものではなく、私的だからこそ真実がある。
くるみ割り人形に個人的な母への想いを膨らませているのも納得できます。
これは私に大きな力で背中を押してくれます。
そのベジャールが描き出そうとする理想の景色を踊りたいと、世界中のトップダンサーがバレエ団に集まってきます。
そんなベジャールの晩年の姿を、ドキュメンタリーとしておさめているのがこの映画です。
リュミエールの制作をしながらダンサーとの創作・リハーサル風景を記録していて、ベジャールの人物像を知るのにヒントが詰まっています。
リュミエールという光のモチーフをバレエ作品においた考えについて、ベジャールは世界の始まりは光なんだと気づいた話をします。
聖書のはじまりをじっくり読み解くと、光が最初なんだとわかったといいます。
そして光がもつ性質や、光から連想されるものをドラマのようにバレエがつながっていく。
映画監督になりたかったというベジャールだからこそ、バレエにも生のドラマをもたらします。その分、リハーサルも厳しいし、衣装や美術へのこだわりも細かい。
そのプロセスがあるから観客はベジャールに魅了されてしまいます。
もはや、亡くなった今「ベジャール」というのは彼自身のことでもあり彼の作品群の世界観、哲学、詩的空間すべてをふくむ象徴のように私は思ってしまいます。
多作なので、私は実際に見たことのない作品もまだ多くありますが、今の年齢になりグッと感情を引き出されます。
このドキュメンタリー映画自体は難しいところもなく、リハーサルと舞台の裏をのぞきながら、ベジャールにとって宇宙のようなインスピレーションを与えていた美しいダンサーたちが見れます。
ジル・ロマン、エリザベット・ロス、クリスティーヌ・ブラン、そして日本が誇る小林十市さんなど。
ヨーロッパの空気を感じながらゆったりとした気持ちでバレエのある風景が楽しめる映画なので、ちょっとした休日のお供におすすめです。
20世紀後半は、バレエが現代化していく時代で、私自身も生まれた時代です。もっと早くに生まれていたら、ジョルジュ・ドンを生で見たかった。
気づけば今は2022年なので、1950〜2000年の期間から半世紀〜20年が経つことになります。
20世紀後半モダンバレエの潮流を、子どもから大人になった自分の視点で、見つめ直したいところです。