バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

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一人の芸術家を多角的に知ることはアーティスト性を高める学びになる

noteにも書いたのですが、かねてより『葬送』という小説を読み、文庫本にして4冊の重層的な19世紀ロマン主義の芸術家たちの世界を読み切りました。

主人公は、ピアノの貴公子ショパン。そしてその周りの恋人であったジョルジュ・サンド、友人の画家ドラクロワなど。

葬送第二部を読了して|Eri|note

もうとにかくショパンは毎日なにかを聞きます。レッスンでも使っていますし、バレエ作品も度々用いていて、まだ振付をつけたい曲がたくさんあります。ショパン国際ピアノコンクールをファン目線でYouTube視聴するのも大好きです。

一人の芸術家を多角的に知ることは、自分自身のアーティスト性を成長させていくことの学びにもなります。

作者の平野啓一郎さんは膨大な調査と推考をしながら創作されたのだと思いますが、描き出し方が私にはとてもちょうどよくショパンの夢と幻想らしいところも感じられて、すっかり板についてしまいました。史実を読んでも確かめられないこともあったのかもしれませんが、私が読んでいる中では、心地よく世界観を経験できました。

こちらもあわせて読みましたが、まだこの続きのドラクロワを描きたかったそうで、私も気に掛かっています。

なぜかドラクロワという画家は昔から、詳しく知らなかったものの、なんだか人柄に興味を持たせる人物でした。

ショパンと友人であったということもなんらか引っかかるところがあり、作品を見ていても何となく個性的なタッチからただならぬオーラを感じていました。だんだん美術館に行くことが増えながら、ドラクロワの作品にも度々出会います。そしてパリのドラクロワのアトリエであった美術館に行ったことも偶然のようで必然のような気がしています。その理由はまだはっきりわかりませんが、きっと私はこれからも追いかけていくのだろうと思っています。(手帳の表紙にもドラクロワの美術館のパンフレットを切り抜いています)

実在の人物を小説に描くというのは、モチーフが参考になるというメリットがありつつも、現実的には描き出す難しさがあるのだろうと気づきました。

よく漫画やアニメを実写化すると、読者のイメージのギャップが生まれることがありえます。みなさんも経験があるのではないでしょうか。サザエさんを実写化すると、思い描いていた世界とイメージのギャップが生まれたりなど。

ショパンのような有名な歴史上の人物も同じく、やはり描き方には解釈が介在していて、好みが分かれるのだろうと思います。私は葬送にすっかりハマって好きになりましたが、例えばまったく違う作家さんの画家の小説を読んだ時にモヤモヤが残ったこともありました。

これは相性もあるのだろうと思いますし、文体や世界観の作り方などにも寄るのだろうと感じます。私自身は小説を書いたことがありませんが、文章で描き出すということもまた立派な芸術であり尊いことだなと思います。

いずれにせよ、小説を読むという体験で、私の人生の中にも数年単位でこのショパンの人生が経験され、また小説を読むずっと前からの子供の頃からのショパンを聞いて育っていたバレエ教室の思い出などとあいまって、私の中にしか存在しない憧れのショパンの世界というものが生きています。

それらから生まれるインスピレーションがまたバレエ創作に活かせるのだと思うと、これからも楽しみで仕方ありません。