黒くてずっしり、丸くてかわいい南部鉄瓶。前にしぶとい赤錆が出てしまい、しばらくご無沙汰していたんですが、手入れを再挑戦して成功しました。うれしくて、またちょくちょく使っています。
もわっと白くなっているのは、細かい泡と湯気。
赤錆を取った方法は、緑茶の葉を煮出すやり方です。ティーバッグに入った緑茶を入れたままお湯をグツグツ沸かして、真っ黒なお湯を出しました。それからティーバッグを出してさらにお湯が透明になっていくまで繰り返し、こびりついていた錆が剥がれていきました。
前も同じやり方をしたのですがうまく錆が取れなかったのですが、時間をおいてから再挑戦したらうまく剥がれました。
あらためて沸かしてみると、やっぱりお湯がまろやか。緑茶に合いますね。鉄分が含まれるというのも有難いことです。
ただ紅茶にはお湯が合わないのが残念。
煎茶のときには、できるだけ都度、鉄瓶を使っています。
どうやら骨董が好きな外国人は古い鉄瓶をよく買っていくのだとか… 鉄瓶は日本発祥なんだそうですね。ずっと長く使えますし、日本の工芸品ですからね。
ダンスにおいても、手仕事から学ぶことがたくさんあります。
物体としてのものづくりと、形のない舞踊を創るというのは、まるで違うようにも見えますが、ヒントがあります。
どんな風に設計するのか、どんな構造にするのか。
具体的な物を形作る「ものづくり」の考え方から、物はないけれど体で動きを見せるダンスを創造する流れを分析する比較になるのです。
形があるものにしろないものにしろ、何かが出来上がるまでというのは、2種類の要素があります。
意図的に形ができる要素
偶然から形が生まれる要素
ものづくりならば、設計した通りに意図的に作れる部分があります。
材料をこの長さに切るとか、面にこの色をつけるとか、決めた通りに形がある程度決まっていきます。工作や料理などもそうですよね。
一方で、設計はしているけれども次の工程を経ないとどう仕上がるかわからないこともあります。
焼成する過程の温度や湿度で色が変化する。あるいは、別々のパーツを組み合わせて全体を調整するようなときなど、あらゆる要素に存在しています。陶芸の釉薬などは特にその典型ですよね。もっと身近な例では、ケーキの仕上がりなども似ているのではないでしょうか。
自分の意志で自由に変えることができる部分と、自然の成り行きに委ねる部分。
ものづくりに限らずどんなことにもその割合は存在するものです。
物体として存在する物を作る「ものづくり」ではどの程度の意志で目標物を仕上げていくのかという視点が、ダンスにおいてもどう意図してどう見せる(創る)のか?という視点のヒントになるのです。
長く使えるようにここまで工夫しておくんだな、とか。
こんなに美しい色が出るのは自然の法則なんだなとか。
ものづくりの芸術的な美しさも、なんとなくやっているわけではなく、論理的に計算した結果引き出していることも多いので「ここまでやるから美しいんだな。機能的なんだな」と作り手の向き合う姿勢にインスピレーションを感じます。
考え込みすぎず、自然な調和に委ねたら偶然の産物が生まれることもあります。
これはダンスに限らず、仕事でも勉強でもアートでもあらゆるクリエイティビティーを働かせることに共通します。
だからいろんな職人さんの世界をのぞき、考え方や設計思想を知るのが好きです。
※アナログの世界はその設計思想が外部の人間にもわかりやすいですが、デジタルの世界(たとえばスマホのアプリケーション、インターネットのサービスなど)でも結局のところ人が作っているわけなので、形あるものづくり職人たちと同じ視点で見ることができます。ただ歴史ある工芸品は多くの場合意味があってそれぞれの工程・制作方法があるので興味深いことが詰まっています。
あらゆる物事をこういう発想で見てしまうのは私の変えられない「個性」なのでしょう。良くも悪くも変えられませんから個性なのです。
物事を横断して見ると面白いことがたくさん落ちています。