バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

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コロナ禍で生じたソーシャルディスタンス公演という形式の感想

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今年からコロナ対策として発生した「ソーシャルディスタンス公演」という形式が、バレエや音楽コンサートなどで実施されるようになりました。

私もすでにバレエ公演とピアノコンサートで行く機会がありました。

コロナ禍になるまで想像もしなかった形式ですが、実際に観客として行ってみた感想をまとめてみます。

座席数を半分まで限定販売

ソーシャルディスタンス公演の場合は、販売するチケットの定員数を半分やそれに近い数に設定されます。

たとえば、あるピアニストさんのソーシャルディスタンス公演では、50%と明らかにされており、座席指定位置も一つ置きに空きを設けて販売されていました。

また、前後列で斜めになるように、偶数番と奇数番で交互に空きが生まれるように配慮されていました。

グループで購入した場合も同じであったようで、ペアで来ているような人々も隣に空間が設けられて座っていました。

実際に観客としての感想は、感染対策の安心感とともに、空間があることでステージを見やすくなっていたというメリットがありました。

通常ではこうした状況はなかなかありえないため、前の人の頭の高さなどを気にせず見ることができました。

主催者側では売上が半分までになってしまうという問題はありますが、観客にとっては座席での印象は悪くない、むしろ見やすかった、というイメージでした。

チケットもぎりは自分で行い半券を渡す

ふだんの入場時はチケットもぎりを案内係が行うため、チケットを手渡しします。

でも、ソーシャルディスタンス公演では多くの場合、チケットを観客が持ったまま案内係に見せて、チケットの半券を自分でちぎり、半券を入れる箱の中に投入します。

行くとみんながそのように入場しているのを見て、それにならいながら入ることになります。

チケット自体もミシン目がついているのでもぎりやすくなっていますが、何も知らずに行くと焦ってしまうかもしれません。

あとは、チケットの文字の印刷が小さいと、案内係が確認しにくいのではないかなという気もしましたので、できることならば大きめに印刷されていると手を覗き込む時間が省けるのではないかと思われます。

また、もっと効率化するなら、デジタルチケットでスマートフォンの画面を提示し、バーコードで読み取りなどができると、物理的な作業が発生せず、手と手の受け渡しも不要なので、便利になるのではと思われます。

美術館などでは導入されているケースが増えてきましたが、まだクラシックの劇場公演では紙文化が根強いのが日本の現状と思われます。

カーテンコールの声出しは無し

終演後バレエの公演ですと「ブラボー」と声をかけることが通例ですが、ソーシャルディスタンス公演では、声出しは無しという形式になります。

さすがにマスク着用をしている上で感染リスクを減らすというためにはやむを得ないことです。

そうすると、やはり臨場感や高揚感というのは出演者にとっても観客にとっても大切ですから、共有し高め合うのが難しいのが課題と感じました。

感動したり感謝を伝えるということは、双方にとって重要なコミュニケーションになります。

それを即時に伝えることができるのが、観客にとっては音声の「ブラボー」がわかりやすい例でしたが、やはり拍手の音だけだと出演者に届くサインとしては弱いですし、観客も半数しかいないので、出演者もそれに対する反応をしてさらに返すという舞台と客席間のコミュニケーションが難しいなぁと思いました。

もちろん舞台を打つことができるだけでも大切なことですが、やはり劇場文化の熱量を高める・保温するという目的を考えると、なにかコミュニケーションのきっかけがあると良いのではと思われました。

花束やプレゼントの預けは無し・面会無し

ソーシャルディスタンス公演では、観客からのプレゼント物品の預かりが無く、面会もできないという形式になっているようです。

前項でも書いたようなコミュニケーションの機会が減ってしまう例のひとつで、こちらはやむを得ないですがなかなか寂しいところでもあります。

きっと受け渡し方法になんらかの工夫をすれば感染対策もできるかもしれませんが、人手を増やしたり場所を別で用意するのもなかなか現実的ではないのかもしれません。

ソロ公演に対して大勢のファンがつめかけるという状況になる場合は、混乱を避けるために仕方のないことかもしれませんが、おそらく発表会などのご友人が見に来てくれて挨拶をしたいということは必ずあるだろうと思います。コロナ禍だから仕方がない、あるいは別の機会に、と割り切らなくてはならない限界があるなぁと思いました。

生の公演をライブ配信・後日映像公開して販売するケースも

コロナ禍の前からライブ配信という形態は存在していますが、ソーシャルディスタンス公演となると、公演の実施機会が貴重となるため、追加予算をできるだけかからない形で同時に収録しておき、映像を販売するという形態がこれまで以上に必要になると思われました。

観客にとってはチケット定員が少ないため購入できなかったり、なんらかで行くことができない人にとって、満足度を高めることができます。

出演者にとっても観客席が劇場では少ない分もっと多くの人に視聴してもらえるチャンスになります。

新たな販売形態ができれば、製作予算を高くできる可能性もあります。

販売でなくとも期間限定で無料公開するケースや、ねらいによって様々かと思います。

見る側にとっても、そうした映像で楽しむという選択肢にも柔軟に受け止める姿勢をもっておくというのは、これからの時代に大切かと私は考えています。それが出演者や製作者への支援になるからです。

リアルな舞台がもっともリッチに感じられるのは当然のことですが、昨今の時代変遷や人々の嗜好性を考えると、古典的に思われやすい劇場文化がおのずと予算をたくわえ好景気になるということはなかなか考えにくいと思われます。

それでも古典芸術の価値そのものは変わらないものです。また、途絶えてしまったらいけないという気持ちもあります。

バレエ界や芸術界を楽しみたいというには、やはり一観客としての支援が必要になります。

それは決して大口寄付などの大袈裟なことでなくとも、手軽なお小遣いから映像を購入して楽しむという程度でも大事なことです。提供側はみんながそう思ってくれるような制作をしながら、相互に関わり合うことができます。

音楽のアーティストでもCDやデジタルでもいいから購入してほしいと願っているのと同じように、みんなで〇〇界を回すという気持ちを盛り上げていくことが文化の醸成になるものと考えています。

発表会では観客を最小限・無しの対応が多い

ここで少し脱線しますが、趣味の教室の発表会では、観客を最小限にしたり、無しで開催する例もあるようです。

家族1人まで、などの条件から限りなく少なくするなど行っているようです。

こちらはチケットの販売は存在しないケースもあるため、観客をできるだけ減らすことでさらにソーシャルディスタンスをはかるというもの。

幼稚園や学校の運動会などと同じく、こちらもやむを得ない事例かもしれません。

ただ、もし新しいアイディアを練るならば、そうした家族や友人にも見せたいという場向けのライブ配信などが実現できるのならば、失われたコミュニケーションのリカバリーが考えられるのではないでしょうか。

記録したビデオの上映会を後日にやる、というご家庭は多いでしょうが、できればお子さんやお孫さんをいち早く見てあげたいという気持ちは募るはず。

もちろん主催者ふくめて対応する必要性があるでしょうし、即座に対応できる団体は少ないのでしょうが、そう遠くない未来には発表会に出向けないご家族がお家のモニターでリアルタイムに見て遠隔に応援しているという風景も生まれているのではないでしょうか。

予算減少でも製作をしなければならないジレンマ

さて、一般的な公演の話題に戻りますが、公演全体としては、売上が減ってしまう販売形態が多いため、製作予算を削らないといけないケースは多々あると考えられます。

特にバレエは予算の増減する要素が大きく、劇場の使用料、オーケストラ演奏か録音音源か、衣装費用、出演者の人数、当日のスタッフの人件費、リハーサルにかかるコストなど影響範囲が広くあります。

その中でどうにか予算を押さえてとなると、いずれかで削減や無償やなんらかの工夫が発生することでしょう。

発表会や趣味でのパフォーマンスの場合、予算をかけてでもこの時期だからこそ良い体験をしたいというケースも一部にありえると思われます。余暇に使う分が自粛で使えなかったという人もいるからです。

一方で職業として製作に関わる人の場合は予算削減が生活に影響してきますので、苦肉の策のソーシャルディスタンス公演といえど、持続可能性は厳しいものと考えられます。

ソーシャルパトロンプラットフォームや、クラウドファンディングという支援形式もありますが、知名度やファンへの訴求度がないと実現が厳しかったり、裏方のスタッフや製作サイドまでカバーするのは難しい現状もあります。

ただでさえ、コロナ禍とは関係なく、年々クラシック界の劇場芸術の観客の客足減少が問題視されてきた矢先の現状です。若年層には価格が高く感じられたり、もっと他の手軽なレジャーや趣味に機会を奪われてしまいやすい業界です。また、もともとの観客層が高齢化していることから、余計にコロナ禍では感染を恐れて劇場まで遠のいてしまうこともあります。

少しでも早くソーシャルディスタンスの必要性がなくなり、劇場文化にも「日常」がもどってくることを願うばかりです。