バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

バレエヨガインストラクター三科絵理

つねに感動を探して、感動で生きていられる

私の仕事はバレエやヨガのやり方を単に教えることではなくて、感動を共有することだと思っています。

なぜ、私がバレエとヨガを教えているのか。

それは、深く人生丸ごと捧げたいほど、バレエにもヨガにも感動しているからです。

ブログを長く読んでくださっているコアな読者のみなさんにはご存知ですが、私はバレエを3歳から始めましたが、成長期に身長が伸び切らず、でも大好きなバレエへの情熱は捨てられませんでした。

踊ることへの可能性をクラシック以外にも知りたくて、コンテンポラリーダンスもチャレンジ。18歳の私が進路選択を迷った時に感じたのは、「表現することはやめなくてもいい。でも、今の自分よりももっと広い視野の世界を知った方が、のちのちに表現活動をするにも深みが出せるだろう」と。母にも言われていたのですがバレエばかりやっていた自分は「世間知らず」であることを認識していました。素晴らしい名作や主題になるものには、深い人生経験と、精神的な成熟が必ず宿るもの。18歳の自分にはまだまだ無いことを痛感していましたし、ただただ踊るということよりも社会を広く勉強したくなったので大学に進みました。

やがて大学を卒業して社会人として仕事もしましたが、いまあらためてバレエの世界にもどってきて感じるのは、バレエという芸術の唯一無二の魅力です。

もちろん、音楽は音楽だけで奥深く素晴らしい大海が広がっている。ほんのひとすくい海水を触るくらいでは知り得ない深淵な海が広がっています。

でも、いっぽうで、生身の体を使って踊るというのは、魂の叫びを舞いに込めることであり、それは舞踊にしかできない表現です。

18歳の頃の自分を振り返ると、その醍醐味はしっかりと感じていました。ただ、自分自身と密接すぎて、社会からみて舞踊という分野の存在意義がはっきりとは見えませんでした。

踊ることでしか表現できない世界がある。それと社会との結びつきが、若さゆえに見えなかったのです。若いのだからあたり前かもしれませんが、でも万が一それが見えていたら今とは違うキャリアを重ねていたでしょう。踊る喜びだけでなくその価値を理解したいし、芸術が社会になにを貢献できるのかを言葉で説明できるほど体現できなかったのです。

今は、毎回ひとつひとつのレッスンで、バレエという芸術が人々に与える心への贈り物がどんなものであるか、手に取るようにわかります。

子供のころから当たり前にバレエと生きてきた人間はバレエと一体化しすぎてしまっている部分があり、客観的に自己認識ができないことがあるのです。多くのダンサーにとって、自分とバレエは切り離せない、というほどに一体化していることが多いでしょう。

でも、社会に生きるアーティストとしては、自分と切り離して自分の創出するパフォーマンスや価値を客観的に把握しなければなりません。それは、ダンサーに限らないことで、歌手でも俳優でも画家でも演奏家でもみな同じです。

そうした自己変容を振り返りながら、今私の活動のために最も大事だと思っているのは、私自身が一番感動する!というくらいに、心を丸裸にしてあらゆる物事に新鮮な五感で(あるいは六感で)ぶつかっていくべきなんだということです。

「こんなに面白い世界があったんだ!」

「私の人生に、こんな美しい景色が見られるんだ!」

そうした発見が日常の中に満ちていく。私自身が素でそのように生きている人間なのです。つねに、感動できるものを探しています。仕事であってもなくても。3歳からバレエのとりこになってしまった人間なので、感動というものを心におさめるのが当たり前になっているのだと思いますし、新鮮な感動が自分の身になり一体化してくると、また新たな感動を探し始めます。身体知においても、音楽でも、文学でも、だれかのふとした一言でも、なんでもわたしにとっては感動のタネになるのです。食べ物のようなものです。

そのような目的ならばいくらでもエネルギー注いで活動できてしまいますし、それを人と共有できるのはもっともっと喜びなのです。

わたしのレッスンに来ている方々は、レッスンのスタイルもそのDNAなのだということをよくご存知だと思います(笑)。みなさんが綺麗に踊れるようになったら感動。できることが増えてきたら感動。すぐにできなくても知ることができただけで前進であり感動。

芸術を通してそうした体験をしてほしい。また、ヨガと向き合うことで自分の生き方の光を見つけて欲しい。

そのためには、頭で理解したことをロジカルに語ってもそれは二次的なことであり、それよりも何かを見て・知って・触れて、心が震える感動をもたらすきっかけになることが私の主たる目的なんだと、18歳のわたしには導けなかった答えをしっかりと手につかんでいます。