ふと近所を歩いていると、よく歩いている場所なのにあまり気にしていなかったところで、花が見事に咲くのを見つけることがあります。
こちらの花もそうです。調べてみると、キョウチクトウというのでしょうか。
キラキラに光る太陽の夕日と、透き通った青い空をキャンバスにして、勢いのあるピンクの筆がサッサッサッと絵の具を伸ばしたかのような美しさでした。
あまりよく見上げずに慌てて歩いていたら気づかなかったと思います。
予想していない意外なところで発見したということがまた「ラッキー」で喜びなのですよね。
心が忙殺されてしまうと忘れてしまいそうな心の瞳、今日もクリアだった!と確認できる瞬間でもあります。
ここは桜がずらりと並んでいる道なので、3月の終わりになると多くの人が足を止めて見上げています。
でも、5月終わりごろになると、桜の花はすっかり散って葉桜となります。
その間から、この花が鮮やかな色で顔をのぞかせるのです。
便利な世の中に起こったコロナ禍は、外出の機会も減ってしまいました。
物を手にするのはさほど困らない現代だからこそ、ネットでもいろんな体験ができてしまいますが、やはり未知なるものとの出会いは自分の世界の外にあるものです。
自分の想定内にある世界で生きているのは、安心ですが、発見が生まれません。
感受性が鈍りそうになると、私は冒険モードになります。
知らないこと、新しいこと、変化すること、変化しないこと、いろんな物事に出会って自分の感受性に刺激を与えたくなります。
そもそも、今ではネットで下調べをしてから旅行するような時代ですから、未知なるものに出会うチャンス自体が減っています。
でも、未知なるものとの遭遇(UFOみたいですが…)は、小さなことでもいいのですよね。
遠距離のどこか彼方に行かなくても、家の周りでもいい。
身の回りにも心を落ち着かせて、身を置いてみれば、なんらかの発見があるものです。
「ずいぶんと日が長くなったものだなぁ。」
「こんな近くに、美しい花を咲かせる木があったんだ。」
「知らない間にこんなお店が出来てる。」
「これ、なんだか、すごくかわいい…」
ささやかな自分だけの発見でもいいものです。
誰かにも教えたくなるような発見があるとうれしいものですが、仮に誰にも理解されないかもしれない自分だけがふふっと心の中で喜ぶようなことでもいいのです。
むしろ、そういった発見ほど、小さくて、日常にとけこんでいる。
忙しいと気が付かないくらいのさりげなさ。
もしかしたら人が自分に投げかけてくれたやさしさ、ほほえみ、声かけも見逃してしまうと…もったいないですよね。
小さな喜びは、マインドフルな幸せの種です。
ニューノーマルな時代は、今までの効率性や市場価値では測れない、心の豊かさ・平穏さが日常の基盤となる「人間らしさの回帰」をつくっているように思います。
家の周りでも小さな冒険をしたり、新しい発見との出会いをしながら、心を磨き続けていきたいものです。