ワツラフ・フォミッチ・ニジンスキー(1890年3月12日〜1950年4月8日)はバレエ・リュスの歴史で「伝説のダンサー」として語り継がれています。
バレエをやっていると、どこかでニジンスキーの名前を聞くことがあるかと思いますが、「どんな人だったのか」については身近にふれることは少ないかもしれません。
そこで、クラブハウスのテーマとして「ニジンスキーの生涯」をみなさんへご紹介しました!
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前の回で「バレエ・リュス」を話したときにディアギレフ(バレエ・リュスの興行主)の人物を取り上げていましたが、その当時の代表的ダンサーの一人がニジンスキーです。
ニジンスキーのおいたち
1890年3月12日 キエフ生まれ
ポーランド人の両親はダンサー
ペテルブルク帝室バレエ学校に入る
バレエ学校時代からマリインスキー・バレエの主役を踊る
カリスマバレエダンサーとして人気を博す
パリでもバレエ・リュスに参加するようになり、活動拠点をパリに移す
ディアギレフとの強い絆でスター級の活躍を広げ、大絶賛を浴びる(アルミードの館、饗宴、レ・シルフィード、クレオパトラ、シェエラザード、薔薇の精、ペトルーシュカなど)
ディアギレフの勧めで振付を始める(牧神の午後、遊戯、春の祭典)
牧神の午後の1912年終わり、22歳の頃から徐々に精神の調子を崩し始める
結婚したことでディアギレフとの関係がこじれてバレエ・リュス解雇となる
やがて精神病で入院
1950年に亡くなる
代表作 薔薇の精、牧神の午後、春の祭典など
現代でも私たちの目にふれる機会の多い代表作は「薔薇の精」「牧神の午後」「春の祭典」などです。
短い作品なので、バレエガラコンサートや、発表会などの小品集で「薔薇の精」がよく上演されたりします。
「牧神の午後」「春の祭典」は大人向けの作品なので発表会では機会が少ないかもしれませんが、いまだに現代的に振付家が改訂をしたり、バレエ・リュスの復刻をしたり、音楽だけでも有名なのでオーケストラのコンサートで上演されたりしています。
DVDやYouTubeなどでも見られることが多いので、みなさん機会があればご覧になってみてください。
ほかに、ニジンスキーと彫刻家ロダンの親交があった感動的なエピソードがあります。
続きのブログで紹介します。