バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

バレエヨガインストラクター三科絵理

一日一日わたしの命を突き動かすもの

「あれもこれもやらなくちゃ」モードを手放して、空っぽになることも時には必要ですよね。

私自身もそういうときにリセットする時間を大切にして、あえて「忘れる」時間をつくるようにします。

そんなときにふと思い出すのが、ヨガ哲学を学んだときに聞いた、魂の話。

魂なんて、なかなかふだんは発しない言葉ですが、ヨガでは肉体としての体、心、魂、この三つが一つにあわさって私たちの命があるという風に考えをベースに生まれてきました。

西洋の考え方のような精神と身体の二元論的なものではないんですよね。体と心、その二つかと思いきや、それよりもっと核になるのが魂。いかにも東洋らしい思想に思えます。魂についてどう信じるかはその人次第でもありますが、心は魂よりも瞬間瞬間に移ろいが激しいもの。ときには心が疲れたり散漫になって暴走してしまうこともあります。でも、魂というのは、一生を超えて、私たちがこの人生を生きる意味を考えさせるような、なぜこの時代この体でこの心で生まれてきたのかを欲望で満たしながら生きるのが魂だというのです。

心よりも、長い人生かけてもっと普遍的に存在し続けるのが魂。生きたい。なにかを経験したい。なにかを成し遂げたいたい。そういう、生きていく中での欲望は魂が満たそうとしているんだと。踊りたい、みんなと喜びを分かち合いたい、そういう私の欲望も、魂がこの世に抱えてきた欲望であり使命なのかも…なんて。

これだけの説明ではイメージしにくいことかもしれませんが、私は魂という言葉がヨガ哲学を通してしっくり感じるようになってから、自分がなにをしたら幸せを感じながら生きることができ、そして人のためにも貢献できるのかを実感するようになりました。

それがなかったら、私はインストラクターにもなりませんでしたし、今のようなみなさんとも出会えなかったですし、YouTubeもしていないはず。過去の自分に後悔を捨てきれず、途方も無い自分探しの途中にいたかもしれません。

ヨガは信仰ではなく、自分で考えることです。教えを待つのではなく、自分で考えること。そして、自分で経験すること。何事も自分が主体。自分がどう感じるのか。自分は何をしてこの人生で成し遂げたいことを行動して欲求を満たしていくのか。それを自問自答しながら人生の旅を生きていくのがヨガ。

ヨガ哲学で勉強したことが、何年もかけてこういうことだったのかもしれないなと浮かび上がるたびに、知る・学ぶことの喜びと感謝を抱きます。

やはりバレエダンサーとしてだけでなく、人生としてはヨガのマインドも切り離すことはできません。ふたつとも私の血と肉となって、今日の命を突き動かしてくれているんだなと感じています。