バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

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ガブリエル・シャネルがデザインしたバレエ作品とその背景

ガブリエル・シャネルがバレエ作品の衣装をデザインしたことがある話は、ご存じでしょうか?オートクチュールとバレエ。どちらもパリの夢が広がる世界ですね。実はシャネルはデザイナーとしてだけでなく、パトロンとしても支援をしていました。

エコール・ド・パリのアヴァンギャルドを投影していたバレエ・リュス。シャネルとバレエ・リュスは、文化の発信地で、ともに強い絆で結ばれていました。

シャネルがバレエ・リュスと友好をもつまで

ガブリエル・シャネルは、1883年8月19日生まれ。貧しい家庭で育っているという話は多くの映画でも描かれています。

帽子のブティックから始まり、新時代のスポーツウェア的なアイテムから、コート、ジャージー素材の服、スーツ、香水、と着実に頭角を表していた当時は、パリという環境も「ベル・エポック」(Belle Époque)という文化の黄金時代を迎えていました。

ベル・エポックは1900年前後〜1920年頃世界恐慌の前までのパリを中心に、自由で国際的な雰囲気を基盤に、パリの芸術集団が交流を深め、文化を豊かに発展させた時代です。「エコール・ド・パリ」とも呼ばれます。

シャネルがバレエ作品に関わり始めるきっかけは、1920年(37歳ごろ?)のこと。親しい友人ミシア・エドワールとホセ=マリア・セールの新婚旅行にシャネルが同行していたヴェネツィアで、バレエ・リュスのプロデューサーであるセルジュ・ディアギレフ(1872〜1929)と知り合います。

ディアギレフ(バレエ・リュス:ロシア・バレエ団)プロデューサーとの出会い

バクストによる舞台デザイン File:Scheherazade (Rimsky-Korsakov) 02 by L. Bakst 2.jpg - Wikimedia Commons

千夜一夜のドラマへ引き込むバレエ「シェヘラザード 」 - バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

セルジュ・ディアギレフは「ロシア・バレエ団」フランス風には「バレエ・リュス」を創設したプロデューサーです。才能ある芸術家を集め、洞察力とセンスと外交的手腕を生かし、時代の流行にも反映させたバレエを打ち出し続けて流行を生み出しました。

数多くのバレエダンサーや振付家を育成し、作曲家もふくめて時代のカリスマが数々誕生。のちに彼らが世界へはばたいて、アメリカや他の地域へも20世紀のバレエが発展していく流れを生みました。

いまだにバレエ・リュスの影響は現代にも色濃く残り、「春の祭典」「牧神の午後」「薔薇の精」「アポロ」「シェヘラザード」あるいはロシアの古典バレエまでもが世界に渡り、現代に保存され続けるきっかけにもなったのでした。

シャネルとディアギレフが生涯の友人となり、資金援助をしたり、バレエ衣装のデザインをすることになります。

CHANEL 公式YouTube 「Gabrielle Chanel and Dance — Inside CHANEL」


www.youtube.com

ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」の制作資金も支援

シャネルは「春の祭典」の制作資金援助もしていました。

「春の祭典」は、未だ現代でも上演され続けている有名なバレエ作品で、ストラヴィンスキー(1882〜1971)が作曲しました。

シャネルは「春の祭典」の制作資金を提供して、作曲家ストラヴィンスキーの一家を別荘に滞在させるほど、ストラヴィンスキーとも親交が深かったようです。

バレエ「青列車」衣装のデザインをシャネルが行う

バレエ「青列車」Le Train bleu Serge Diaghilev's Ballet Russes performing the ballet Le Train bleu choreographed by Bronislava Nijinska, Paris, 1924

1924年にはジャン・コクトー台本「青列車(Le Train bleu)」というバレエ作品の衣装をシャネルが行いました。全一幕のダンス・オペレッタで、特にストーリー軸があるというわけではないバレエです。

先進的なバレエで「フランスに押し寄せてくるアメリカ文化の波」という新たな潮流を浮き上がらせるユニークなものでした。

「コダックのカメラ」「ハリウッド風アイドル」「ウィークエンドに避暑地」などの当時アメリカ的世相を盛り込み、ピカソのデザイン、シャネルのオートクチュールを携え、挑戦的だった様子です。

現代のわたしたちから見ても、前衛的だなと思わせられるようなスタイルですね。当時はポール・ポワレが女性のコルセットを解放し、シャネルはこの作品でさらに現代を映し出した、という見方もあるようです。この写真からも、この時代特有の「新しさ」への意欲を感じます。

台本作家ジャン・コクトーは挑戦的でこだわりが強く、振付家ブロニスラワ・ニジンスカ(ニジンスキーの妹)がやり直させられたり、初演後も揉めていたそうです。初演がいったいどんなバレエであったのか、映像が存在していたら見てみたかったものですね。

あいにく出演ダンサー(主にアントン・ドーリン)のアクロバット的な能力に依存するところも大きかったようで、のちにあまり踊られなくなりました。(いまはパリ・オペラ座が再演しています。鑑賞メモ 1920年代風の動くアヴァンギャルド「青列車」パリ・オペラ座DVD - バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ

「青列車」以外にも「物乞う神々」(1928初演)のアレクサンドラ・ダニロワ、「ミューズを導くアポロ」(1928初演、バランシン振付のちの「アポロ」)の新衣装をデザインしていたそうです。

Two dancers of the Ballets Russes in costumes by Coco Chanel, from 1928.Credit...Sasha/V&A Images

Costumes From Serge Diaghilev and the Ballets Russes - The New York Times

この画像によるとシャネルデザインのバレエ衣装です。この「ミューズを導くアポロ」に関しては最初のデザイナーの制作をディアギレフが気に入らず、スカートの丈を前後変えて印象が変わるようにシャネルに依頼したそうです。

とても詩的なムードが漂う写真ですね。

シャネルはディアギレフの看病も葬儀も支援した

バレエ・リュスは意欲的に天才的なダンサーを輩出し、影響力も持っていましたが、状況が変化していきます。

ディアギレフが糖尿病を悪化させてしまい、1929年には亡くなってしまいました。バレエ・リュスは莫大な負債があり、すべてを回すブレーンのディアギレフが倒れると立ち行かなくなります。

シャネルはミシアと共に最後までディアギレフを看病し、葬儀も負担したそうです。

ディアギレフが息を引き取ると、バレエ・リュスは負債にあらがうこともできず、まるで夢が消えるようにバレエ団ごと解体されてしまったそうです。

この時代の偉大な人物たち同士の深い絆がどれほどであったか考えさせられますね。シャネルもそれだけ、バレエ・リュスへの支援をいとわなかったそうです。

ベル・エポックの著名人たちと時代背景

ベル・エポックの当時は歴史上の有名な偉人が多く、リストアップしてみました。

当時の著名人(一例)

  • 画家 エドガー・ドガ
  • 画家 トゥールーズ=ロートレック
  • 画家 アルフォンス・ミュシャ
  • 画家 アメデオ・モディリアーニ
  • 画家 ベルト・モリゾ
  • 画家 アンリ・マティス
  • 画家 アンリ・ルソー
  • 画家 ピエール=オーギュスト・ルノワール
  • 画家・彫刻家 パブロ・ピカソ
  • 物理学者 マリ・キュリー
  • 生化学者 ルイ・パスツール
  • 作家 マルセル・プルースト
  • 女優 サラ・ベルナール(ミュシャの運命を変えた出会い 女優サラ・ベルナール - バレエヨガインストラクター三科絵理のブログ
  • 作曲家 エリック・サティ
  • 作曲家 イーゴリ・ストラヴィンスキー
  • 作曲家 クロード・ドビュッシー
  • 作家 スコット・フィッツジェラルド
  • 作家 アーネスト・ヘミングウェイ
  • 詩人 モーリス・メーテルリンク(青い鳥の作者)
  • 劇作家 オスカー・ワイルド
  • 発明家 アルベルト・サントス=デュモン
  • ファッションデザイナー ポール・ポワレ(女性のドレスのコルセットを解放)
  • バレエ・リュスプロデューサー セルジュ・ディアギレフ
  • バレエダンサー ヴァツラフ・ニジンスキー
  • バレエダンサー イサドラ・ダンカン(モダンダンスの祖) ほか

こんなにも、全員わからなくとも名前だけでも聞いたことのあるような人物ばかり。文化の中心であったことがよく分かります。

また、第一次世界大戦と第二次世界大戦のはざまの時期で、激動の変化を遂げつつある時期でもありました。

シャネルも第一次世界大戦や社会の変動を見つめ、女性の社会進出の変革を予想して、多くの女性たちの洋服に変革を与えたといいます。

あらゆる側面で社会基盤が現代にむかって動いていく潮目であったのだろうと個人的に思います。

バレエも、ディアギレフによって新たな舞台芸術の旋風を吹かせました。

ディアギレフ自身も当時の「キュビスム」「フォーヴィスム」「シュルレアリスム」「表現主義」「アヴァンギャルド」などの流れをできるだけすべてに関わろうとしたそうです。掘り下げるとバレエ・リュスに行きあたる、といいます。

こうしてバレエも新しい時代の潮流を受けて、自らも生み出しながら、発展していました。

そうした時代の中でシャネルがバレエを支援していた、そしてバレエを愛し続けたディアギレフを支援し続けた、というのは心惹かれる逸話だなと思います。

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参考文献

ディアギレフのバレエ・リュス展 : 舞台美術の革命とパリの前衛芸術家たち : 1909-1929

バレエ 誕生から現代までの歴史

バレエ大図鑑